「ルーイン兄ちゃん!!」 まだ声変わりしていない、高い声が僕を呼ぶ。 その声は切羽詰ったようで、泣きそうだった。 「兄ちゃん、兄ちゃん、本当に、ほんとに無理なの!?」 「わかってたことだよ、カイン。」 「でも!!」 「カイン、僕は団長や皆の足手まといになるのは嫌なんだ。」 「でも、でも!!」 まるで小さな子供みたいに、じだんだを踏む弟。 カインはとても優しくて、そして強い。 僕にはない、丈夫な体が羨ましくないと言ったら嘘になるけど、僕はけしてそれを妬んだりはしない。 僕には僕にしか出来ない事があるだろうし、何より僕はこの”ヴィトル家”に生まれた事をとても誇り に思っているからだ。 団長、そして父と母から入団しても遠征は無理だと聞かされた時、ショックを受けなかったわけじゃない。 すごく、すごく辛くて、悲しくて、僕はその時ほど自分の体を恨んだ事はなかった。 けれど団長はこう言ってくれた。 『ルーイン、遠征に一緒に行けないのは俺だって辛いよ。』 『・・・・団長、僕、どうしたらいいんですか?このまま、ずっと役立たずのまま・・』 『違う!ルーイン、それは違う。お前にはお前にしか出来ない事があるだろ?』 『僕にしか、出来ない事。』 『そうさ。俺達のサポートをして欲しい。この本拠地をお前に任せてもいいか?』 『僕が、ここを・・』 『ああ。』 ずっと僕は、自分に何が出来るのか考えていた。 遠征に着いて行けない事は、小さい頃からもう分かっていた。分からない訳がない、自分の体だ。 年を重ねるごとに激化する魔物との戦い、騎士団にもう余裕はない。 でも、団長は僕を騎士団に入団させてくれた。 道を示してくれた。僕にしか出来ない事を教えてくれた。 僕を呼ぶ頼りない声。 ねえカイン。お前ならわかってくれるだろう? 僕にしか出来ない事を見つけたって。それが分かる、お前は頭のいい弟だから。 「やだ、嫌だ、兄ちゃんは強いよ、オイラが一番知ってる。」 「そうだな。カインよりは強いな。」 「うん、うん。兄ちゃんのハープは、凄く綺麗な音だよ。」 「・・ありがとう、カイン。」 自分でも、カインを甘やかしている事はわかってるんだ。 そしてカインが、とても僕を慕ってくれてる事も。 僕の弟はとても甘えただ。 彼が遠征にいくまでに、どうにかしなといけないなとは、思うんだけど。 僕はどうしようもなくそれを心地よく感じてしまう。 「カイン、お前は僕の自慢の弟だよ。」 「兄ちゃん?」 「僕は自分が出来る事を見つけたんだ。 それは、カインや団長達と一緒に世界をまわって、魔物を倒す旅に出る事じゃなかった。 ・・・それだけの事なんだよ。」 「・・・・・」 「お前が遠征に出る事になったら、僕のぶんも一緒に世界をまわってくれ。 約束だ。」 「・・うん、うん。わかった、オイラ、兄ちゃんのぶんも頑張るよ。」 「・・・ああ。」 カインは照れたように頬をかいていた。 僕がポンポンと頭を叩いてやると、嬉しそうにぎゅっと抱きついてくる。 他の人から見ると、僕らはどうやら仲が良すぎるように見えるらしい。 けれどこれが僕らの普通だ。 小さい時から体が弱くて、僕は部屋の外に出る事も出来なかった。 八歳までは、ずっと本拠地を任されているエルヴェさんにお世話になっていたんだ。 父も母も、とても僕を心配して、愛してくれたけど、それでも一緒にいられる時間は少しだけだった。 だから弟が生まれたとき、僕はきっととても喜んだんだろう。 小さな時だから、覚えていないけど。 僕はカインに色んな事を教えたし、カインも僕に色んな事を教えてくれた。 カインは、僕の心を外に向けれくれた。 活発で、明るくて、優しい元気な弟。 僕とは対照的なその姿は、羨望と共に僕の心に眩しく焼きついた。 大切なたった一人の弟。 僕らはお互いに、守り、守られて、一緒に年を重ねた。 暗雲の立ち込めはじめたこの世界を、一緒に歩いてきた。 「カイン、お前が騎士団に入団するまでに、色んな事を教えよう。 天気の読み方も、食べられる草やキノコの選別も、僕が得た知識を、全部お前にあげよう。」 「うー・・・スパルタになりそうだね。」 「そうだな。でも、遠征に行けない僕のたった一つの我が儘なんだ。」 「わかってるよ、わかってるよ、兄ちゃん。オイラ頑張るよ!」 カインに精霊の加護をと、祈るのは簡単だ。 どうか弟が志半ばで精霊郷に招かれないように。 この本拠地に帰ってこない事がないように。 僕は僕の持つ知識を弟に預ける事に決めたんだ。 僕は僕にしか出来ない事をする。 騎士団の為、僕を生んでくれた父と母の為、大切な弟の為に。 彼はいつもイライラしているようだった。 「キーリ殿。」 「?何ですか、ガルモルディア殿」 「モルディでいいぞ。皆そう呼んでいるからな。」 「・・じゃあ、モルディ。俺に何か用ですか?」 「ああそうだった。何だか君がイライラしてるように見えてな。」 「・・・俺が?」 彼、キーリは邪魔くさそうに前髪をかきあげて私の方を見る。 心外です、とでも言いたそうな目つきだ。 彼は魔騎士にしては体格が小さい方だった。 若さのせいもあるだろうが、少なくとも、私よりは小柄になるだろう。 父譲りなのだと彼は言う。ならばその強さも父譲りかと聞いたら、珍しく照れ笑いをしていた。 私は流れ者の魔騎士だった。 アクラリンドのモールモースで生まれ、ヴィムで魔騎士の鎧を鍛え、その鎧を使いこなす為、 宗教都市グラツィアで己を磨いていた。 グラツィアの街の人々はとても優しく、私は心おきなく鍛錬に励む事が出来たのだ。 そしてある日、そんな私にとても素晴らしい事件が舞い込んだ! 騎士団が、私に入団を申し込んでくる、という素晴らしい事件だった。 私と入れ替わりに退団したバルスという魔騎士は、とても素晴らしい魔騎士だった。 共にヴァレイへ帰還する時、一度だけ見た彼の魔物との戦いは今でも胸に焼き付いている。 老いさらばえて尚、伸びた背筋、揺るがない瞳の光、ハルバードを構える凛とした立ち姿。 握った手が汗ばみ、心臓は躍動した。 彼は私に、”いつか、俺の息子が入団するよ。その時は、よろしくな。” そう言って退団していった。 彼が言ったように、その9年後。 彼とそっくりな瞳と背を持つ、小さな魔騎士が入団してきたのだ。 「・・・俺、そんな風に見えますか。」 キーリは不安そうに、私を見上げている。 「ああ。何かを焦っているような目だな、バルスの息子よ。」 「!! 親父を・・知ってるんですか。」 「その親父殿と入れ替わりに入団したのが、私だよ。君の事を宜しくと言われた。」 「・・親父がそんな事・・・」 「彼は素晴らしい魔騎士だった。」 「・・・そんな事は、俺が一番知ってます。」 俯き、唇を噛むキーリ。 私はピンときた。 脈々と騎士団に続くヨムライネン家の少年魔騎士。それ故のしがらみが、彼にはあるのだ。 「しかし、それを気負う事はないぞ。バルスの息子、キーリ。」 「!!」 「バルス殿は、バルス殿。君は君だ。」 「・・・モルディ・・」 「常に己を鍛え、技を磨くといい。己だけの強さを身につける事が大切だ。 しがらみに捕らわれず、心を強く持つといい。それが、魔騎士だ。」 「・・・ありがとうございます。」 キーリは年相応の笑顔で、私を見上げた。 十は離れているが、弟とはこのような者なのだろうか。 ふと、バルス殿の言葉が甦る。 ”俺は多分、俺の息子に教えてやれることがとても少なくなると思う。 だから、出来ればモルディ・・・あいつが知らない事は、お前が教えてやってくれ。” 「キーリ殿。後で手合わせをしないか?」 「え?」 「君がどれ程の技を持つか、興味があるんだ。」 「・・・こんな若輩者でよければ、お相手します、先輩。」 「先輩か、中々いい響きだな!」 バルス殿、あなたの息子もきっと、強くなるでしょう。 瞳の光が、あなたそっくりだ。 |