カラカラと音がする。何の音だろうか? ぼんやりと浮き上がる意識の中で、セリウスはまどろんでいた。 ふっと水面に浮き上がる。 ノイズがなくなって、カラカラという軽い音が鮮明になる。 何があったのか。それが、ちっとも思い出せない。 瞳の上の瞼の裏側ごしに見る視界は、薄ぼんやりと赤い。 まだ明るいのだろうか。 セリウスはゆっくりと瞳をこじ開けようとした。すると、頬が引き攣れて痺れる感覚。 驚いて再び目を閉じてしまう。 「・・・・・・・」 何だ、一体何なんだ。 混乱のまま、落ち着こうと唇を開き息を吸い込んだ。すると今度は鋭い痛みが走った。 顔が熱を持ったように熱いのにも、気がついた。 四肢を動かしてみようとしても、酷く重だるく動かす気にならない。 どうしようもない。 目も口も手足も使えないのなら、残りは耳しかない。 セリウスはそっと耳をそばだててみた。 相変わらず聞こえるカラカラという何かが回る音と、乾いた風の音。 風は時々頬をくすぐって去っていく。 しばらくじっとしていると、ガチャリとドアの開く音がした。 次いでバサリとマントを翻す音と一緒に、軽い靴音が飛び込んでくる。 「セリウス君?」 「・・・・フェルリット。」 時折キシリと床を軋ませてかけてくる軽い靴音。心配そうな声音に、セリウスはゆっくりと瞼を持ち上げた。 少し靄のかかった視界に、アメジストの瞳が飛び込んでくる。 そして唐突に思い出した。 キングリオンの攻防。 ヒュージラットとの対峙、バジリコックの強襲。 バルスの怒鳴り声と、レルミの真っ赤にわななく顔。 「よかったわさ、気がついたのね。」 「・・・・・あ、ああ・・・。・・魔物は?」 「大丈夫。ヒュージラットの方も団長達がやったわ。今焼きに行ってる所よ。」 「・・そうか。」 フェルリットの話すところによれば。 レルミとバルスが、酷く怒っていたとか。団長が凄く心配していたとか。 レルミは気を失ったセリウスを今にも引っ叩かんばかりに睨みつけていたらしい。 団長達がヒュージラットを倒し、やっと騒然となっていたのが落ち着いて、とりあえずはテルミンやセリウスを 休ませようという事になった。 近くの民家を借り(薬なども少し拝借して)一先ずは一息ついたという事だ。 見れば、窓から差し込む光はもう赤い。 「・・・私は、どれくらい眠っていた・・」 「二時間くらいね。はい、これ飲んで。」 「・・・・・っ・・、にがい・・・・」 「我慢なさい。」 フェルリットは眉を寄せて皮袋の中を探っている。 おそらく薬草やら色々なものがごちゃごちゃと入っているのだろう。 彼女は片付けや整理整頓が苦手だ。 「とりあえず、喋る度痛いでしょ。もう無理しなくてもいいわよ。」 「・・・・・・。」 「顎の左下から頬にかけてね、結構深い傷だから。 あと内臓まではいってないみたいだけど、脇腹も見た目結構、酷いことになってるわさ。」 「・・・テルミンさんは」 「大丈夫よ。あんたが応急処置したからね。」 苦いものが喉の奥にわだかまっていて、セリウスは渋い顔だ。 何度もつばを飲み込んで嚥下してみる。・・・何だか粉っぽい。 フェルリットがそれに気付いたのか、くすくすと笑って口元を押さえている。 「フフッ。じゃあまだあんまり動かないようにする事ね。 ・・・レルミさん、呼んできてあげるわさ。」 「・・・・!」 いたずらっぽい笑顔。 セリウスの頬が別の意味で引き攣る。 フェルリットは皮袋をテーブルの上を置くと、クスクスと笑いを堪えきれぬまま出て行った。 ああ、そろそろ夕日も沈みそうだ。 風に乗ってやってきた煙のにおいが鼻をくすぐる。 埃っぽい部屋に一つだけある窓から差し込む、夕日なのに柔らかい日差し。 フェルリットと誰かが話す声がする。・・バルスだろうか?きっと弟の彼にもこっ酷くどやされるんだろう。 目を瞑って硬いベッドの上で力を抜く。 「・・私は運がいいんだな・・・」 小さく呟いて、息をついた。 頬が痛くて笑う事は出来なかったけど、眦は少し、半月を描いていた。 その頃、ブラッドとスルギ、それにマーリンとメリーアンは倒した魔物の処分をしていた。 魔物は倒すのも大変だが、倒した後も大変だ。 図体ばかりでかく、食用にも肥料にもならない。 倒した後は害にならないよう、骨まで焼くのが常である。 しかしそれが中々重労働で、特に戦闘の後の疲弊した体には堪えるのだ。 今回は荒野だからいいものの、草原ともなれば炎が燃え広がらないように水を撒いたり色々しなければならない。 それに魔物と言えどそのまま火をつけて燃える筈がない。 火種も用意しなければならない。大きさが大きさなので、大きな火種、もしくは油がいる。 今回はそれが二匹分。 溜息の一つや二つ吐きたくなるのは仕方ない。 「それにしたって、風が強いねぇ。さっきまで気付かなかったよォ」 「・・・乾燥してるのはいいけど・・こうも強いとすぐ火が消えちゃうなぁ。」 「おーーーい、マーリン、メリーアン、そっちは燃えたかー」 「まだでーーす」 そんなわけで、ブラッドは少し困っていた。 魔物の死骸を放置する事は、土壌にはとてもよろしくない事だという。 夜までには燃やしたいのだが、風のせいで中々上手くいかない。火種が少ない事も原因だ。 「・・やはりフェルリット殿に手伝ってもらうのが・・」 「・・でも、疲れてるだろうからなぁ・・。」 「・・・そうでござるなぁ。」 目の前にこんもりと盛り上がる小山。 ブラッドとスルギは、揃って大きく息をついた。 「だーーんちょーーー!」 「?テルミンか・・。もう歩いて平気なのかーー?」 二人してうな垂れていると、遠くから手を振りながら歩いてくる影。 どうやらテルミンのようだった。 ブラッドは彼女に聞こえるように大きく声を張り上げる。 「平気ですよ!」 すると元気な返事が帰ってきて、ブラッドは顔を綻ばせた。 「それより団長、セリウス君やっと起きたみたいですよ。 さっきフェルリットがレルミのとこに来てましたから。」 「そうか!良かった、目が覚めたんだな。」 「でも、レルミ行きましたから。大丈夫かしらねー。フフ、彼女すごく怒ってましたからね。」 「はははっ。まあそこは愛のムチってやつでな。」 「アハ、それもそうですね!あ、手伝いますよ団長。」 「ん?ああ、ありがとう。」 テルミンは軽い足取りでスルギに近づくと、彼の手伝いをし始めた。 そろそろ夕日が沈みそうだ。 ブラッドは眩しそうに目を細めると、作業を再開すべく小山に向き直った。 レルミは歩いていた。 乾いた土を踏み固めて作られただけの道は、歩くたびにジャリジャリと音がする。 彼女はニンジャだ。こんな砂利道でも、音も無く歩く事だって出来る。 ・・・けれど。 彼女は今少し、イライラしていたりする。 自然仕種が荒々しくなっていたりする。 『あの子には、ほどほどにって言われちゃったけど』 ふう、と溜息をつく。 バジリコックと対峙している時のあの緊張感といったら、なかった。 新人が二人で、魔物が二匹。 あんな状況レルミだって初めてだったのだ。 セリウスの兜が布きれのように裂かれたとき、心臓がドクンと波打った。 嫌な汗が背中を流れて、思わずクナイをギュッと握り締めていた。 傷口を見たときは息が止まるかと思った。 青褪めた白い頬が死人みたいで、よくない想像が彼女の脳内を駆け巡ってしまう。 まったく、退団間近なのに嫌な体験をさせられたものだ。 『これだけ心配させられたんだから』 かろうじて魔物の牙から逃れられた民家、すこしささくれた木のドアの前に立つ。 中ではセリウスが眠っているはずだ。 「セリウス君、入るわよ。」 コンコンとドアを叩き、一応確認を取る。 暫くドアの前でじっと立っていたけど、中々返事がない。 眠っているのだろうか? レルミはゆっくりとドアを開いた。 「セリウス君?」 「・・・・・・」 「寝てる?」 返事はない。 薄いドアに隔てられた右奥の部屋、声は届いているはずだ。 レルミは足音を消してその部屋のドアを開いた。 「・・・起きてる?」 「・・・・・・・・・・」 「・・・・・起きてるでしょ。私を騙せると思ってるの?」 「・・・・・・・・・・」 「・・セーリーウースーくーん?」 「・・・・・・・・・・」 セリウスは中々反応を返さない。 レルミはベッドの側に立って、じぃっとセリウスに視線を注いだ。 それはもう、しつこいくらい。 すると。 観念したのか、セリウスがゆっくり目を開いた。 冷や汗をかいているように見えるのは、多分気のせいじゃない。 「やっぱり起きてた。」 「・・・・・・・すいません。」 「・・・ふぅ、そんな顔しないで。怒る気が失せるじゃない」 「・・・・・・・」 「今度あんな無茶して見なさい。今に死ぬわよ。」 「・・・はい。」 長めの前髪に隠れた彼女の眉が、キリリとつり上がる。 セリウスだってわかっていた。今回は運が良かったのだと。 だからそれを咎められたって、言い訳も口答えも出来ないのだ。 しかもそれが、心底自分を心配してくれている人の言葉だから。 側にあった椅子に腰掛けて、レルミは言葉を連ねる。 「次の災厄・・アクラリンドの災厄が終わったら、私達年長組は順々に抜けるわ。 今度はあなたが年長者になって、引っ張っていかなくちゃいけないのよ。」 「・・・・・・。」 「・・私も、あと数年で退団するわ。」 「・・・・レルミさん」 「今回の戦い方、褒められたものじゃないけどね。 これであなたもしっかり戦えるって事が分かったから、私少し安心してるのよ。」 「・・・・・」 「頑張って頂戴。」 ふっと、彼女が微笑んだ。 初めて見る表情だった。 酷く真剣なその言葉は、意図せずセリウスの頬を熱くさせる。 この熱さは傷のせいじゃない。 それから暫く、辺りを沈黙が支配して。 セリウスはレルミの顔を見つめる事も出来ず、天井の板の木目を見ていた。 相変わらず彼女はセリウスの顔をじっと見ていたのだけれど。 夕日はもう沈んで、辺りは薄闇に包まれていた。 遠くで小さく響く声。突風でも吹いたのか、家がキシリと音を立てる。 ふと、レルミは思い出したようにセリウスに問いかけた。 「傷痕残るの?」 「え?・・・・あ、それはまだ・・。でも、残ると思います・・」 「・・そうよね。あれだけ兜、パックリいっちゃったんだもの。」 「あ・・。あの、兜は。」 「駄目ね。鍛えなおさないと使い物にならないわ。鎧もちょっとね。バルス君が溜息ついてたからね。」 「・・そうですか。」 静かな部屋。 二人の声だけと、時折家の軋む音だけが響く。 「・・セリウス君。」 「はい。」 「・・・・・」 「・・・レルミさん?」 「・・・・ううん、何でもないわ。それより・・・」 「・・・・・」 何を言おうとしたのか、言及する事はしなかった。 だって金色ごしに見た彼女の瞳が、とても寂しそうだったから。 レルミはさっきの言葉など忘れたように、地図を開いて喋っている。 それは明日からのこと、とても大切な事なんだろうけど、セリウスの耳にちっとも入ってこなかった。 翌々日、消し炭になった魔物の残骸に土を被せ、騎士団はキングリオンを出発した。 街の民家から携帯食になるものを拝借して、とりあえずは彼らの隠れ住む森へ向かう。 元々森づたいに来たのだから、距離のロスにはならない。 食料や水も二か月分には足りないし、彼らに報告もしなければならなかったから。 セリウスが歩けないほどの怪我でなかったのが幸いという所だろうか。 少しペースは落ちるが、なんとか騎士団は道中を進んでいた。 リオン荒野は今日も乾いた風が駆け抜けている。 さて、後はもう語らずとも良いだろう。 騎士団は途中途中で馬車を掴まえたり、魔物を退治しながら、五ヶ月かけてヴァレイに帰還した。 その間にある物語は、またの機会に。 彼らの旅路は、まだまだ長く長く続いている。 それぞれの思惑を抱えたまま、キングリオンの戦いは幕を閉じた。 |