【荒野に歌えば:03】







街はとても静かだった。

時折風が砂を巻き込んでカラカラと音をさせる、古びた風車がギシリと音をたてる。
それだけの街だった。
酒場や食堂であるだろう場所にはもう活気はなく、くもの巣の張った天井とテーブルだけが沈黙していた。

騎士団はゆっくりと街を中を進んでいく。


太陽がてっぺんに昇って半刻、騎士団は街へ進入した。
街の人間はこの街から半月ほど歩いた場所にある、”吸血鬼の森”に隠れ住んでいるという。
アクラル西暦1000年からもう50年。
増え続ける魔物の対策にと、街の人々が作った”避難場所”がその森の中にある。
長旅に耐えられない老人や、女・子供がひっそりと暮らしているのだという。


そんなわけで街はもぬけの空だ。




「酷いわね。ここを放って一体どれくら経ってるのかしら。」

「んー、一年は経ってるねぇ。みなよ、凄い爪跡だ。マーリン、これ何かわかる?」

「ネズミだよね。モウリィマウス・・・いや、ヒュージラットかな。団長?」


民家の壁に、端から端までかかる大きな爪跡があった。
四本のそれは小獣族の魔物の足の爪跡だ。
攻撃の際には主に尻尾を武器とする彼らだが、時折足も使う。
所謂、縄張りの印等によく使うと言われている。

マーリンはささくれ立った木の壁を撫でると、問うようにブラッドに向き直った。



「ああ。多分ヒュージラッドだろう。・・それにこの傷、新しい。
 ・・・・魔物の気が立っているのかもしれないな・・・」

「・・だとしたら、厄介であるな。」


正直、この辺りの環境はヒュージラッドにとってはよい環境とは言えないだろう。
ヒュージラッドは地下や森のように、日の射さない暗く湿った場所を好む。
こんなリオン荒野の真っ只中にある街など、本当なら見向きもしない筈なのに。



「・・・フェルリット、魔物にも縄張り意識ってあるのかよ?」

「あるわよ。だから、こんな風に印をつけてりするんだわさ。」


「・・マーリン、メリーアン。この街に地下はなかったな。」

「うん、ないよぉ。・・でも、この街でいっちばんアイツが好きそーなトコっていったら・・」

「そうだね、兄さん。」





街の端の端。
民家の屋根も見えなくなるほど先に行った場所に、それはある。

それは、墓場。













そこは決して、特別じめじめとした場所でもなく、ひやりとしているわけではない。
だが魔物は人のほの暗い”感情”を好む。
墓場は負の感情の溜まり場。その場所が放つ空気は、魔物にとって居心地のよい空気だ。

ブラッド率いるミラノ騎士団は、墓場へと足を向けた。



おざなり程度に飢えてある街路樹も、既に白い枯れ木と化している。
やがて、ポツポツと朽ちた木や岩が乱立する場所が見えてきた。

一行は墓場前にある小屋の影に身を隠し、墓場を窺う。
今のところは何か動く気配もなく、静かなものだ。
風だけが時折、キシリと音を生んで去っていく。

団員は小屋の壁にピタリと背をつけながら、小声で囁くように喋った。




「・・静かね・・。本当にいるのかしら、魔物・・」

「テルミン、気を抜かないでよ?」

「抜くわけないでしょ。」



「・・・兄者、どうした?」

「・・・・・・・。風が・・・」

「・・風?」






ふいに、砂を巻き上げていた風がピタリと止んだ。
風車のたてるギシリギシリという音も止まり、あたりは静寂に包まれる。

太陽が雲に隠れ、墓場は影に覆われ、空気が澱み溜まっていくようだ。








「マーリン」



風が止んで、影が射して、少しも経たない内。
メリーアンが珍しく焦った声で、弟の名を呼んだ。



「兄さん、これ」



マーリンも同じく、けれど戸惑ったように兄を見た。






二人とも、手元の竪琴をじっと見ていた。
小さく震える弦。

風もなく、自分の体が震えているわけでもない。
ならば。


ならば何故だ?









「団長ォ!!!来るぞッ、下から来る!!」

「何だって!?」



弾かれたようにマーリンとメリーアンが顔をあげ、叫ぶ。
次の瞬間グラリと地面が揺れた。まるで、体当たりされているようだ。



「皆、この場所から離れろ!距離を取れ!!!」

「御意!
 フェルリット殿、急ぐでござるよっ!」



「は、はいっ」

「ほら、チャキチャキ走れよフェル!」

「なっ、なんなのさその呼び方!」

「るせーなぁ、長いんだよお前の名前!」




「ふふ、魔物の癖に中々頭がいいのね。」

「よぉーし、来るなら来なさいっ!」








距離をとり、振り返った瞬間。
小屋の半分を突き破り、大ネズミが姿を現した。

魔物、”ヒュージラット”だ。


ヒュージラットはグルグルと喉を鳴らして、天を仰いでいる。
尻尾は時折大きく地面を抉りながら、右に左に振り子のように揺れていた。

機嫌が悪い。

そう、体全体で言っている様なものだ。




ブラッドは抜き身の大剣を背負いなおすと、周りに目配せした。


スルギはバルスとフェルリットを庇いつつ、少しずつ前進している。
レルミとセリウスは後方へ。
テルミンとマーリンのタッグも既に前線だ。
メリーアンは魔物の死角になる場所へ移動している。




『メリーアンと逆の方向に走ったのか。・・・バルスの補助が難しいな・・。』






ブラッドの頭の中に、布陣が広がる。
魔物は丸い大きな目でギョロリとこちらを睨んでいる。
もうあまり時間はない。



『・・仕方ない。』







「フェルリット!バルスの援護をするんだ!!!
 スルギ、テルミン、バルス、前線!!!」

「御意!」

「わかりました!!」




「・・・・っ。」

「・・何ぼさっとしてんのよさ!行きなよ、あたいが絶対、守ってやるから!」

「・・・お前なんかに、守られてたまるかっ」

「・・・フンッ」
















豪刀一閃、火花が散った。
スルギが一気に懐に潜り込み、一文字に斬り付ける。
しかし魔物の硬い皮膚と剛毛は刀の進入を中々許さず、競り負けるようにスルギは飛びずさった。


「スルギさん!!」


まるでムチのようにしなる尻尾を、テルミンが叩き落とす。
飛びずさったスルギの側に、ブラッドが駆け寄った。





「・・・中々、拙者の刀で傷を負わせるのは至難の技のようでござる。」

「そうか・・・なら、テルミンやヴィトル兄弟が適任かもな・・・」

「うむ」

「でもとりあえず、尻尾は早々に切らなきゃならない。」






ブラッドがギッと魔物を見据える。

まるで自分達を嘲るようにゆらゆら動く尻尾は、小獣族と戦う上では一番厄介なものでもある。
本体に気を取られすぎるとあっというまにあの尻尾に薙ぎ払われる。
逆に尻尾に意識を向けすぎると、あの尖った鼻で強烈な突きを食らうのだ。

つまり、小獣族と戦うには、本体を攻撃する者と尻尾を攻撃する者。
このコンビネーションが成り立たなければいけない。


砂埃がもうもうと立ち込める、墓場前の広場。
高く透き通った声が響く。




「団長っ!」

「団長、私達が行きます!!」

「テルミン、マーリン・・・わかった、頼むぞ!!メリーアン、援護だ!」


「まっかせといて!」





近くの岩に身を潜めていたメリーアンが飛び出して来て、竪琴を構えた。

不協和音と鈴の音が魔物にぶつかる。
魔物はグルグルと不快そうに声を上げ、尻尾を振り回して抵抗する。

ブラッドはバルスとフェルリットの側に駆け寄った。



「バルス、フェルリット、無理はしなくていい。少しでもいい、確実にダメージを与えるんだ。」

「はいっ」

「わかりましたっ」

「フェルリットは、俺が援護するから。」






ドォン!!!

大きな音がして、砂煙が立ち込める。



「きゃああっ!」

「テルミン!!?うわっ、この砂煙・・・目くらましだ!・・兄さん!」

「うっわ、あっぶな尻尾掠ったァ!
 くっそ・・・マーリン、オイラが弾いてる間にテルミン助けてやれ!」

「わかった!!」




メリーアンが竪琴を奏ではじめる。
またグルグルと唸る声だ。
未だに致命傷は与えられていない。尻尾も切れていない。

メリーアンの頬に汗が伝った。



「・・・テルミン、マーリン、下がれ!」


ブラッドの指示で二人が後列に下がる。
代わりに、バルスとフェルリットが前線へと躍り出る。

立ち込めていた煙が晴れ、怒り狂った魔物の全貌が明らかになる。
目は興奮で真っ赤に染まり、尻尾は地面を激しく叩いている。

興奮冷めやらぬ魔物は前足を地につき、体を前に倒した。




「・・・・・ブラッド殿、来ますぞ!!」

「くっ・・・!皆、よけるんだ!」



次の瞬間、ヒュージラットはその巨大な体躯をバネのようにして突進してきた。
ブラッドがすれ違いざま大剣をふるい、耳を片方切り飛ばした。

















「・・・・テルミンさん、大丈夫ですか・・・?」

「え、ええ・・・油断したわ。ごめんね、セリウス君。」

「いえ・・・。」

「・・・僕はもう大丈夫だから、前線に戻るよ。テルミンの事宜しく頼むよ、セリウス君。」

「はい。」





ここは後列。
岩陰の多い場所でセリウスはテルミンの治癒を行っていた。
小さな光の粉は、微力ながらも精霊や妖精の力を行使している証拠だ。

レルミはじっと戦いの動向を見つめている。




「・・レルミさん、ここは俺一人でも。」

「・・・駄目よ。退路を確保するのも戦いの一つなんだからね。」

「・・・・・・。」

「別に、負けるなんて言ってないでしょ?ほらほら、頑張って。私には治癒能力ないのよ。」

「・・・はい。」



今日の魔物、ヒュージラッドはいつにも増して凶暴だ。
前線は砂埃が絶えず、視界が悪い。
これではこちらが不利というもの。

レルミはじっと戦局を見つめながら、手の中の小刀とクナイを握り締めた。















「うおぁぁぁぁ!!!!!」


メリーアンと入れ替わるように、バルスは砂煙に飛び込んだ。
メリーアンが何か言ったようだったが、バルスには聞こえていなかった。




戦い始めて、初めての手ごたえだろうか。
ザクリと音がして、バルスの振るったハルバードが魔物の腹に食い込んだ。

腹から血が噴き出し、尻尾が陸に打ち上げられた魚のようにビクビクとのた打ち回る。
ガリリと勢いのまま地面を掻き、バルスはバッと目の前を見た。

噴き出す血の色はやはり赤い。
真上からは怒りとも悶絶とも取れる鳴き声が低く響いている。
傷を負わせた事で、何か力が抜けたようになってしまい、一瞬頭が真っ白になる。




「バルス殿、下がれ!!」

「早く、下がんなさい!・・・補助すんのも・・限界あるんだから!!」



スルギとフェルリットの声。
バルスは一足飛びで魔物の眼前から飛びずさり、ハルバードをブンと振った。
乾いた土にピピッと血が跳ねる。

スルギとフェルリットに並んだ途端、自分を包んでいた薄青い幕が弾けるように消えた。
補助魔法が消えたのだろう。



「バルス殿にフェルリット殿、よくやった。」

「ああ。一旦後列に下がるんだ。」



「「はいっ」」
















「・・・・さて、あとは尻尾を切らないとな。」

「ブラッド殿、そこは拙者にお任せを。先程の汚名を挽回するでござるよ」

「・・・なら、頼もうか。本体の方は、俺とマーリンで押さえるよ。
 いけそうか?」

「大丈夫です、団長。」



「よし、なら行くぞ!!」












抜き身の刀身が太陽を反射して鈍く光る。

魔物の瞳が、半月に歪んだ様にブラッドには見えた。
















「・・・?レルミさん?」

「・・不味いわね。」

「レルミ・・・?」

「テルミン、立てる?セリウス君、兜きっちり被って、ハルバード持ちなさい。」












「もう一匹、寄せられてきたわ。」








高い空に、黒い影と不気味な雄叫びが響き渡る。