おおよそ二ヶ月間にわたるキングリオンへの道程は、思っていたより酷いものではなかった。 珍しく、雨も降った。 森沿いに行ったおかげで、体力の消耗も激しくなかった。 食料も、なんとか間に合った。 ミラノ騎士団はひたすら歩みを進める。 森を抜け、目指すはキングリオン。乾いた荒野を、一行は切り裂くように進んでいく。 レルミの呟いた思惑は、まるで外れたように穏やかだった。 「バルス殿、フェルリット殿、大丈夫でござるか。 「あ、はい。平気っす。」 「・・・・・・はい。」 「・・・二人とも、あまり無理をなされるな。遠慮なく申してよいのだぞ。」 「大丈夫だろ、フェルリット。」 「当たり前だわさ。」 少し列から遅れているバルスとフェルリットを心配して、スルギがとなりに並ぶ。 さすがに強い日差し、それを遮るものがない荒野の真っ只中、おうとつの激しい道をずっと歩くのは辛いだろう。 バルスはグッと歯噛みし、”平気です”と繰り返した。 足手まといになっている。 そんな事、とうにわかっているんだ。 けれど、だからって誰かに甘えたり支えてもらうのは嫌だった。 隣のフェルリットを見ると、彼女も悔しそうに杖を握り締めている。 彼女も相当、負けず嫌いのようだ。 「皆、あと一日ほどでキングリオンだ。気を引き締めていこう!」 「りょーかいっ!」 「はいっ、団長!」 前方で、団長ブラッドの声。 いつだって彼は前を向いている。 彼が弱音を吐いたところを、バルスは一度も見た事がない。 強く、地面を踏みしめる。 焼け焦げたニオイが一瞬鼻をくすぐったけど、バルスは前を見据えて歩みを進めた。 そして、ふと気付く。 いつのまにか、となりに影。 兄セリウスが立っていた。 「バルス。」 「? 兄者、どうしたんだよ。・・・俺なら平気だぞ。」 「・・・・これを、よく噛んで、飲み込むといい・・・。 フェルリットにもわけてやれ。」 唐突に、兄のセリウスから渡されたもの。 それはどうやら、彼の調合した薬のようだった。 兄は魔騎士らしからぬ事をよくしていたり、知っていたりする。 こんな風に、薬の調合の仕方。 天候のよみ方。 野に生えている茸や、食べられる草の選別。 果ては、裁縫なんかも出来てしまったり。 我が兄ながら、なんて魔騎士らしくない男だろうと、バルスは何度も思った。 けどそれは尊敬すべき事だと思ったし、それを魔騎士のプライドだのなんだのと軽蔑する程、 バルスはひねくれていなかった。 「・・・元気が、でる。」 セリウスはにこりと笑い、バルスの手に薬を握らせる。 それは丸薬のようで、水がなくても飲めるようだ。 父から譲られた兜は小脇に抱えられていて、強い日差しで少し痛んだ髪が、乾いた風に揺れていた。 「サンキュ、兄者。貰っとく。」 素直に礼を言い、バルスは包みを広げる。 丸薬を口に含むと、なんともいえない苦い味。 フェルリットにも手渡すと、”苦いのは苦手だわさ”と小さく文句が来た。 それでもセリウスの好意を無駄にするわけにはいかないので、なんとか飲み込んでいたようだが。 セリウスは嬉しそうに何度か頷くと、兜をかぶって歩き出した。 それに続くように、バルスも少し歩みを強めた。 黙々と足を進めるうちに、太陽はどんどん傾いていく。 夕日がレイラス山脈にかかる頃、ミラノ騎士団は夜営の準備をし始めた。 「皆、今夜はしっかりと己の武器を手入れしておくように。 明日の昼には、キングリオンにつくでござる。」 「あと、しっかり休むんだぞ。 見張りの番はいつも通りつけるが、丁度いい岩陰もあるし、何かに見つかる心配もないだろう」 ブラッドは荷物を降ろし、大きめの岩に腰を下ろした。 団員達も慌ただしく荷物を探り始め、テキパキと火をおこし、夕食の準備を始める。 大鍋から湯気が立ち始める頃には、あたりはすっかり夕闇に包まれていた。 夕日はもう完全に沈んで、空には星がチラチラとしている。 空気はキンと冴えて、昼間の暑さなんてどこにも感じられなかった。 リオン地方は、昼と夜の温度差が激しい。うっかりしていると、風邪をひきそうだ。 「みんな、ご飯よぉ」 テルミンの声が、夜空の下に響いた。 その日のメニューは簡単なシチュー。 それでもいきなり冷えた体が温まるのは心地よくて、団員達は和やかに食事をとっていた。 さて、月がてっぺんに昇る頃。 「セリウス君」 「・・・・・・・・。」 「セリウス君、起きなさいな」 「・・・・・。・・・・・おはよう、ございます・・・?」 「あら、寝ぼけてるの?見張り交代よ、行きましょ。」 「・・・・・!は、はい・・・」 セリウスは夢うつつで優しい声を聞いた。 肩に置かれた手は冷たくて、思わずハッとなる。 一気に覚醒した意識は、目の前にいる彼女を認識した途端、急にクリアになった。 そうだ。今日の番は、レルミと一緒だった。 夜の見張りは、大体二人一組。 まだ若い団員は、こんな風に年長の団員と組む。 セリウスも例外ではなく、今夜はニンジャのレルミと番につく事になっていた。 パチパチと焚火のはぜる音。 火の側には、マーリンとテルミンがいた。 「交代よ、二人とも。」 「あ、やっと交代なのね。」 「ふー。ありがたいよ。ホント、夜はバカみたいに冷えるね。」 二人から少し厚めのマントを渡される。 テルミンは”レルミに苛められないようにね?”と、小さく笑いながらセリウスに耳打ちした。 耳ざといレルミだ。 ”苛めないわよ!”と、ムッとした顔をする。 マーリンはくぐもった笑い声をたてた。 セリウスも小さく、笑みを零した。 「じゃあ、後はお願いね、二人とも。」 「明日は頑張ろう。セリウス君は兄さんがサポートしてくれるみたいだよ。」 そんな言葉をかけながら、二人は焚火から離れて皆の眠る場所へ向かっていった。 「フフ。ほんと、いつも仲いいわね。・・うらめしいやら、うらやましいやら、よ。」 「・・・・レルミさんは、結婚しないんですか」 ピキッ レルミがギギギーッと音がしそうな感じで、振り返る。 「セリウスくん」 「・・・はい。」 「そーゆう事は、聞かないものよ?デリカシーがないわ。」 ギュウウウウ。 おもいっきり、頬をつねられた。 セリウスはわけがわからないまま涙目だ。 「わかった?」 「・・・・は・・ぃ・・」 「声が小さいわ」 「は、はい!」 やっと離してくれた頃には、セリウスの両頬(どっちもつねられた)は真っ赤になっていた。 ヒリヒリする頬をさすりながらも、セリウスの頭の中にはクエスチョンマークが飛び交っている。 これでもレルミの怒る理由がわからないのは、セリウスがセリウスたる所以だ。 レルミはスタスタと焚火に近寄ると、マントで体をくるんでそこに座り込んだ。 少し躊躇していたセリウスだったが、レルミが手招きしたのでとりあえず座る事にした。 少し離れ場所に腰を下ろす。 パチパチと、火の粉が踊った。 「ねぇ、セリウス君。君達兄弟は、魔騎士にしては珍しいわね。 弟くんたちはよく喋るし、君は怖いというより、物静かだわ。」 「・・・そうですか?」 「そうよ。私も何度か魔騎士には会った事があるけど、暗いし、怖いし、威圧感があって、近づき難かったもの。」 「俺達、変でしょうか。」 「そーゆうわけじゃないわ。ちょっと珍しかったからね。」 レルミはからりとした笑みを浮かべる。 悪気なんてない事は、初めからわかってた。 初めのうち、セリウスは彼女を物静かな人だと思っていたのだ。 何事にも物怖じせず、冷静で、己の数倍はある魔物を目にしても、けして怯まない。 セリウスも口数が多いほうではない。 近寄りがたいとまではいかなくも、進んで会話する事はあまりなかった。 それがどうだろう。 初めて一緒に夜の見張りをした時、そんなイメージは一気に崩れ去った。 別人じゃないかというくらい、よく笑い、よく喋った。 本当に、呆気に取られたものだ。 今はもう慣れたけれど、やっぱり今でも、少し戸惑う。 セリウスはいつの間にか、レルミをじっと見つめていた。 「? どうしたの。私の顔に、何かついてるかしら?」 「・・・・・あ、いえ・・。」 「フフ、ダメよ。私に惚れちゃったら、他の男共が黙ってないから。」 「・・・・・・・・・・・・。」 「・・冗談よ!」 クスクスと漏れる忍び笑い。 セリウスは顔を真っ赤にして、ゆらゆら揺れる焚火に目をそむけた。 次の日の朝は、よく晴れた。 風に少し、潮の匂いが混ざっている。 腹が減っては戦は出来ぬというものだ。 少ない食料を腹に詰め込むと、騎士団はまだ少し肌寒い荒野を歩き始めた。 あと半日もすれば、キングリオンに到着するだろう。 彼らは道すがら、戦闘の打ち合わせをしていた。 「とりあえず前に言ったとおり、前衛はテルミンとスルギ、バルスだ。 バルスのサポートは・・メリーアン、頼むよ。」 「まっかしといてよ、団長ォ」 「あと、スルギのサポートは俺がする。テルミンはいつも通りマーリンがサポート。 セリウスとフェルリットは回復とサポートに徹してくれ。 わかってると思うが、これはあくまで予定だ。臨機応変に動いてくれ。」 「あいわかった、任されよ。」 「テルミン、あんまり無理しないでよ?」 「あら、あなたが守ってくれるんでしょう?」 「そりゃそうだけどね。・・あれ?そういえば、兄さんがセリウス君のサポートすんじゃなかったの?」 「んん?あー、ちょっと色々話し合った結果さァ」 「ふぅん・・・・」 いよいよ迫った魔物との戦いをようやっと肌で感じ、団員達が色めき立つ。 バルスはグッと拳を握り締めた。 魔物と戦うのは、もう五度目だ。それでもやっぱり、この嫌な緊張感は中々拭えない。 前線に出るのは初めてだ。 手の平が汗ばむ。 鼓動が、うるさい。 隣で歩くフェルリットが鳴らす靴音が、やけに響く。 彼女も緊張しているのだろう。 その鼓動が、連動するようだ。 ふと、兄の顔が視界に入った。 相変わらずすました顔だ。 緊張していないのだろうか? セリウスの歩みに合わせて、ハルバードが揺れている。 尋ねてみようかとは思ったけれど、やはりやめた。 無駄に高いプライドが、それを許さなかった。 兄は尊敬の対象であると共に、バルスにとってライバルでもあった。 「ねぇ、団長。私は?」 すると突然、不満そうな声。レルミだ。 「そうだな・・・今回は後方支援に回ってくれないか?」 「あら、残念。・・・そうね、じゃあ私、セリウス君のサポートでもしようかしら?」 「・・・・・・・・・え。」 「駄目?」 セリウスが、顔を真っ赤にして慌てている。 バルスはそんな兄に驚いて声も出ない。 ブラッドは苦笑いしながら、「真面目に戦えよ?」とだけ言った。 内心ではレルミにもやっと春が来たか、なんて考えているのだから、彼も相当な大物だ。 年の功というやつだろうか。 「もう、レルミったら何考えてるのかしら。」 「まぁまぁ、いいじゃない。またレルミさんの気紛れだよ。」 「そう?・・・・そうだといいけど。ああ、バルス君固まっちゃってる。」 セリウスが逃げるように速足になる。 それをくすくす笑いながら追いかけるレルミ。 なんて、和やかな空気だ。 この一行が今から魔物を退治しに行くなんて、一体誰が信じるだろう。 バルスは拳をほどき、溜息をついた。 こんな人達といると、緊張している自分がおかしく思えてきてしまう。 やがて広がる戦場を恐れる事はない。 岩陰の向こうに見える街並を見据え、大きく一歩を踏み出す。 「みんな、行こう!!」 団長の声が力強く、荒野に響き渡った。 |