【荒野に歌えば:02】







おおよそ二ヶ月間にわたるキングリオンへの道程は、思っていたより酷いものではなかった。

珍しく、雨も降った。
森沿いに行ったおかげで、体力の消耗も激しくなかった。
食料も、なんとか間に合った。


ミラノ騎士団はひたすら歩みを進める。
森を抜け、目指すはキングリオン。乾いた荒野を、一行は切り裂くように進んでいく。
レルミの呟いた思惑は、まるで外れたように穏やかだった。



「バルス殿、フェルリット殿、大丈夫でござるか。

「あ、はい。平気っす。」
「・・・・・・はい。」

「・・・二人とも、あまり無理をなされるな。遠慮なく申してよいのだぞ。」

「大丈夫だろ、フェルリット。」
「当たり前だわさ。」



少し列から遅れているバルスとフェルリットを心配して、スルギがとなりに並ぶ。

さすがに強い日差し、それを遮るものがない荒野の真っ只中、おうとつの激しい道をずっと歩くのは辛いだろう。
バルスはグッと歯噛みし、”平気です”と繰り返した。

足手まといになっている。

そんな事、とうにわかっているんだ。
けれど、だからって誰かに甘えたり支えてもらうのは嫌だった。

隣のフェルリットを見ると、彼女も悔しそうに杖を握り締めている。
彼女も相当、負けず嫌いのようだ。







「皆、あと一日ほどでキングリオンだ。気を引き締めていこう!」

「りょーかいっ!」

「はいっ、団長!」



前方で、団長ブラッドの声。
いつだって彼は前を向いている。

彼が弱音を吐いたところを、バルスは一度も見た事がない。



強く、地面を踏みしめる。
焼け焦げたニオイが一瞬鼻をくすぐったけど、バルスは前を見据えて歩みを進めた。

そして、ふと気付く。

いつのまにか、となりに影。
兄セリウスが立っていた。




「バルス。」

「? 兄者、どうしたんだよ。・・・俺なら平気だぞ。」

「・・・・これを、よく噛んで、飲み込むといい・・・。
フェルリットにもわけてやれ。」



唐突に、兄のセリウスから渡されたもの。
それはどうやら、彼の調合した薬のようだった。
兄は魔騎士らしからぬ事をよくしていたり、知っていたりする。


こんな風に、薬の調合の仕方。
天候のよみ方。
野に生えている茸や、食べられる草の選別。
果ては、裁縫なんかも出来てしまったり。

我が兄ながら、なんて魔騎士らしくない男だろうと、バルスは何度も思った。
けどそれは尊敬すべき事だと思ったし、それを魔騎士のプライドだのなんだのと軽蔑する程、
バルスはひねくれていなかった。



「・・・元気が、でる。」



セリウスはにこりと笑い、バルスの手に薬を握らせる。
それは丸薬のようで、水がなくても飲めるようだ。
父から譲られた兜は小脇に抱えられていて、強い日差しで少し痛んだ髪が、乾いた風に揺れていた。


「サンキュ、兄者。貰っとく。」




素直に礼を言い、バルスは包みを広げる。
丸薬を口に含むと、なんともいえない苦い味。
フェルリットにも手渡すと、”苦いのは苦手だわさ”と小さく文句が来た。
それでもセリウスの好意を無駄にするわけにはいかないので、なんとか飲み込んでいたようだが。


セリウスは嬉しそうに何度か頷くと、兜をかぶって歩き出した。
それに続くように、バルスも少し歩みを強めた。






















黙々と足を進めるうちに、太陽はどんどん傾いていく。

夕日がレイラス山脈にかかる頃、ミラノ騎士団は夜営の準備をし始めた。



「皆、今夜はしっかりと己の武器を手入れしておくように。
明日の昼には、キングリオンにつくでござる。」


「あと、しっかり休むんだぞ。
見張りの番はいつも通りつけるが、丁度いい岩陰もあるし、何かに見つかる心配もないだろう」




ブラッドは荷物を降ろし、大きめの岩に腰を下ろした。
団員達も慌ただしく荷物を探り始め、テキパキと火をおこし、夕食の準備を始める。


大鍋から湯気が立ち始める頃には、あたりはすっかり夕闇に包まれていた。

夕日はもう完全に沈んで、空には星がチラチラとしている。
空気はキンと冴えて、昼間の暑さなんてどこにも感じられなかった。
リオン地方は、昼と夜の温度差が激しい。うっかりしていると、風邪をひきそうだ。




「みんな、ご飯よぉ」



テルミンの声が、夜空の下に響いた。


その日のメニューは簡単なシチュー。
それでもいきなり冷えた体が温まるのは心地よくて、団員達は和やかに食事をとっていた。





















さて、月がてっぺんに昇る頃。






「セリウス君」

「・・・・・・・・。」

「セリウス君、起きなさいな」

「・・・・・。・・・・・おはよう、ございます・・・?」

「あら、寝ぼけてるの?見張り交代よ、行きましょ。」

「・・・・・!は、はい・・・」




セリウスは夢うつつで優しい声を聞いた。
肩に置かれた手は冷たくて、思わずハッとなる。
一気に覚醒した意識は、目の前にいる彼女を認識した途端、急にクリアになった。

そうだ。今日の番は、レルミと一緒だった。



夜の見張りは、大体二人一組。
まだ若い団員は、こんな風に年長の団員と組む。
セリウスも例外ではなく、今夜はニンジャのレルミと番につく事になっていた。
パチパチと焚火のはぜる音。

火の側には、マーリンとテルミンがいた。




「交代よ、二人とも。」

「あ、やっと交代なのね。」

「ふー。ありがたいよ。ホント、夜はバカみたいに冷えるね。」



二人から少し厚めのマントを渡される。
テルミンは”レルミに苛められないようにね?”と、小さく笑いながらセリウスに耳打ちした。
耳ざといレルミだ。
”苛めないわよ!”と、ムッとした顔をする。

マーリンはくぐもった笑い声をたてた。
セリウスも小さく、笑みを零した。


「じゃあ、後はお願いね、二人とも。」

「明日は頑張ろう。セリウス君は兄さんがサポートしてくれるみたいだよ。」




そんな言葉をかけながら、二人は焚火から離れて皆の眠る場所へ向かっていった。







「フフ。ほんと、いつも仲いいわね。・・うらめしいやら、うらやましいやら、よ。」

「・・・・レルミさんは、結婚しないんですか」



ピキッ
レルミがギギギーッと音がしそうな感じで、振り返る。



「セリウスくん」

「・・・はい。」

「そーゆう事は、聞かないものよ?デリカシーがないわ。」





ギュウウウウ。
おもいっきり、頬をつねられた。
セリウスはわけがわからないまま涙目だ。



「わかった?」

「・・・・は・・ぃ・・」

「声が小さいわ」

「は、はい!」



やっと離してくれた頃には、セリウスの両頬(どっちもつねられた)は真っ赤になっていた。
ヒリヒリする頬をさすりながらも、セリウスの頭の中にはクエスチョンマークが飛び交っている。
これでもレルミの怒る理由がわからないのは、セリウスがセリウスたる所以だ。

レルミはスタスタと焚火に近寄ると、マントで体をくるんでそこに座り込んだ。
少し躊躇していたセリウスだったが、レルミが手招きしたのでとりあえず座る事にした。
少し離れ場所に腰を下ろす。



パチパチと、火の粉が踊った。



「ねぇ、セリウス君。君達兄弟は、魔騎士にしては珍しいわね。
 弟くんたちはよく喋るし、君は怖いというより、物静かだわ。」

「・・・そうですか?」

「そうよ。私も何度か魔騎士には会った事があるけど、暗いし、怖いし、威圧感があって、近づき難かったもの。」


「俺達、変でしょうか。」

「そーゆうわけじゃないわ。ちょっと珍しかったからね。」


レルミはからりとした笑みを浮かべる。
悪気なんてない事は、初めからわかってた。



初めのうち、セリウスは彼女を物静かな人だと思っていたのだ。
何事にも物怖じせず、冷静で、己の数倍はある魔物を目にしても、けして怯まない。

セリウスも口数が多いほうではない。
近寄りがたいとまではいかなくも、進んで会話する事はあまりなかった。

それがどうだろう。

初めて一緒に夜の見張りをした時、そんなイメージは一気に崩れ去った。
別人じゃないかというくらい、よく笑い、よく喋った。


本当に、呆気に取られたものだ。
今はもう慣れたけれど、やっぱり今でも、少し戸惑う。





セリウスはいつの間にか、レルミをじっと見つめていた。



「? どうしたの。私の顔に、何かついてるかしら?」

「・・・・・あ、いえ・・。」

「フフ、ダメよ。私に惚れちゃったら、他の男共が黙ってないから。」

「・・・・・・・・・・・・。」

「・・冗談よ!」


クスクスと漏れる忍び笑い。
セリウスは顔を真っ赤にして、ゆらゆら揺れる焚火に目をそむけた。





























次の日の朝は、よく晴れた。
風に少し、潮の匂いが混ざっている。

腹が減っては戦は出来ぬというものだ。
少ない食料を腹に詰め込むと、騎士団はまだ少し肌寒い荒野を歩き始めた。

あと半日もすれば、キングリオンに到着するだろう。
彼らは道すがら、戦闘の打ち合わせをしていた。



「とりあえず前に言ったとおり、前衛はテルミンとスルギ、バルスだ。
バルスのサポートは・・メリーアン、頼むよ。」

「まっかしといてよ、団長ォ」

「あと、スルギのサポートは俺がする。テルミンはいつも通りマーリンがサポート。
セリウスとフェルリットは回復とサポートに徹してくれ。
わかってると思うが、これはあくまで予定だ。臨機応変に動いてくれ。」



「あいわかった、任されよ。」

「テルミン、あんまり無理しないでよ?」

「あら、あなたが守ってくれるんでしょう?」

「そりゃそうだけどね。・・あれ?そういえば、兄さんがセリウス君のサポートすんじゃなかったの?」

「んん?あー、ちょっと色々話し合った結果さァ」

「ふぅん・・・・」





いよいよ迫った魔物との戦いをようやっと肌で感じ、団員達が色めき立つ。

バルスはグッと拳を握り締めた。
魔物と戦うのは、もう五度目だ。それでもやっぱり、この嫌な緊張感は中々拭えない。
前線に出るのは初めてだ。

手の平が汗ばむ。




鼓動が、うるさい。
隣で歩くフェルリットが鳴らす靴音が、やけに響く。
彼女も緊張しているのだろう。
その鼓動が、連動するようだ。






ふと、兄の顔が視界に入った。
相変わらずすました顔だ。

緊張していないのだろうか?


セリウスの歩みに合わせて、ハルバードが揺れている。



尋ねてみようかとは思ったけれど、やはりやめた。
無駄に高いプライドが、それを許さなかった。
兄は尊敬の対象であると共に、バルスにとってライバルでもあった。










「ねぇ、団長。私は?」




すると突然、不満そうな声。レルミだ。



「そうだな・・・今回は後方支援に回ってくれないか?」

「あら、残念。・・・そうね、じゃあ私、セリウス君のサポートでもしようかしら?」

「・・・・・・・・・え。」

「駄目?」




セリウスが、顔を真っ赤にして慌てている。
バルスはそんな兄に驚いて声も出ない。
ブラッドは苦笑いしながら、「真面目に戦えよ?」とだけ言った。

内心ではレルミにもやっと春が来たか、なんて考えているのだから、彼も相当な大物だ。
年の功というやつだろうか。






「もう、レルミったら何考えてるのかしら。」

「まぁまぁ、いいじゃない。またレルミさんの気紛れだよ。」

「そう?・・・・そうだといいけど。ああ、バルス君固まっちゃってる。」








セリウスが逃げるように速足になる。
それをくすくす笑いながら追いかけるレルミ。


なんて、和やかな空気だ。


この一行が今から魔物を退治しに行くなんて、一体誰が信じるだろう。

バルスは拳をほどき、溜息をついた。



こんな人達といると、緊張している自分がおかしく思えてきてしまう。





















やがて広がる戦場を恐れる事はない。


岩陰の向こうに見える街並を見据え、大きく一歩を踏み出す。








「みんな、行こう!!」



団長の声が力強く、荒野に響き渡った。