【荒野に歌えば:01】







1050年代も、もう終わろうとしている頃だ。
新しい戦力を蓄えたミラノ騎士団は、ライカンウッドから一ヶ月と少しかけて、城塞都市ゼレスへ到着していた。
さすがにゼレスまでくると、岩と砂ばかりであたりは殺風景だ。
剥き出しの岩肌に照りつく太陽は、どこか焦げたようなニオイをさせていた。

リオン地方への遠征は、何度行ってもその厳しさに慣れる事がない。
草すら生えない不毛の土地は、長い遠征を馬車も何もなく身一つで進む彼らには、荷が重すぎた。
食料も、水も、圧倒的に不足してしまう。
干した肉や、米。とにかく乾きものだけでその場その場を繋ぐしか出来ないのだ。
生のものでも持とうとすれば、暑さもあいまってたちまちに腐ってしまう。

ライカンウッドからゼレスへの道程は、育ち盛りの者達には結構どころかかなりきつい道程であった。



「うーん。今回は新しい子が多かったから、キツかったかな?」

「どうだろうねェ・・・。オイラ達はもう三回目だからさぁ。マーリン、一回目の事覚えてんの?」

「んー・・・気絶してた時間の方が多いから、あんま覚えてないよ。」

「オイラも。」



ゼレスの街中へ入ったからといって、決してそこで満足な食事にありつけるわけではない。
ここは辺境の城塞都市。
いくらリオン地方最大の街と言えど、他の街や村に比べれば圧倒的に生活水準が低いのがわかる。
貴重な水はもちろん、食材も、そのほかの日用品等も、他の街よりは300ゴート程は高いのが当たり前だ。

メリーアンとマーリンは、砂埃の舞う中、第二市壁区へ向かっていた。
酒場で水を買うのは高すぎるので、住民達の使う共同の井戸を借りるのだ。
この街には、偶然と言おうか、奇跡と言おうか、壁区ごとにポツポツと井戸が湧いているのだ。

もちろんそれらは住民の財産なので、ただ、というわけにはいかない。
それでも酒場で買うよりはいくらかはマシだから、こうして二人が交渉に向かう。


第二市壁区は閑散としていて、二人の声が良く通った。




「じゃあ、キングリオンまでは、今回も森沿いに行くんだろうね」

「そうだねェ、今回はそうじゃないかなぁ。真っ直ぐつっきっていけない事もナイけど、それだと
 若い子達がヘロヘロになるよォ。」



一度だけ、荒野をつっきってキングリオンに向かった事がある。
メリーアンとマーリンが言う、一回目の遠征だ。
初めて向かう街、初めて立つ土地。道先案内人も雇えず、地図を頼りにがむしゃらに進んだのだ。
ゼレスにはキングリオンから逃れてきた人々がごった返していて、皆が皆、憔悴しきっていた。
何しろ、魔物が現れてから二年は経過していたのだ。

人々の逸る声に押され、騎士団は荒野に飛び出した。


結果は、推して知るべし、だ。


細い川は幾本もあったが、塩が混じっていたり、砂が混じっていたり。
魔物もさほど強くはなかったのに、怪我人がたくさん出た。

本当に、満身創痍という言葉があの時程似合った事はない。



「・・・・身震いするね。」

「・・・・だねェ。」



思い出話にひとつブルリと身を震わせて、二人は砂煙に消えていった。










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「ブラッド殿、話とは。」

「ああ、スルギ。ちょっと、団員の事で相談していいか?」

「む、お受け申す。」




ブラッドは酒場の隅から、チョイチョイとスルギを手招いた。
すぐ側のテーブルには、魔騎士の兜を取った三人組がぐだっと突っ伏している。

ブラッドは困ったように笑うと、隣の三人組を指差した。


「あいつらの事なんだ。」


ヨムライネン家は、彼らでもう三代目となる。
今回は1053年のセリウス、1054年のバルス、そして今年入団したディルスと、立て続けにヨムライネン家が
入団してきた。

魔騎士の戦力は計り知れない。
出来れば、早々に経験を積ませておいてやりたい。
ブラッドはそう思い、ディルスを含めた三人を今回の遠征について来させたのだ。

本当はライカンウッドまでだったはずだが、魔物はいつだって計画を狂わせてくれる。
予想外な事に、ゼレスまで来てしまった。


セリウスやバルスはともかく、ディルスは限界だろう。




「ディルスと・・・あと、バルスにも残ってもらおうと思ってる。
 ・・・足りると思うか?」

「・・・む。微妙な所、ですな。バルス殿がいないのは少々きつくござらんか。」

「やっぱり、そうかな。」



セリウスは、戦いにおいては未だ戸惑いと躊躇いが多いようで、とりあえずは後方支援にまわっている。
バルスはその逆だ。
攻撃補助、防御補助は並だが、攻撃力と体力が半端ない。
まだバルスは18歳なのだが、ゴブリンくらいなら一人で倒せる程にまでなっている。

さすがに、ディルスはまだ待機組だ。

ブラッドとスルギの声が聞こえたのか、突っ伏していたバルスがのそりと顔を上げる。




「団長、俺、連れてけ」

「でもな、バルス・・お前が思ってる以上に、厳しいぞ。」

「若いうちに経験積めって言ったの、団長じゃないか。俺、行くよ。絶対、行く。」


「・・・・ブラッド殿、これは、何を言っても無駄そうでござるな。」

「・・・・・・・ふぅ。無理は、するなよ?」

「お・・、は、はいっ」



あらたまって返事をしたバルスの頬は、少し上気して赤かった。
ふと気付くと、隣から恨みがましそうな視線。
ディルスだ。

自分では足手まといになるとわかっているから、バルスのように団長に頼み込んだりはしない。
けれど、悔しいものは悔しい。
自分だって、早く経験をつんで騎士団を支えて行きたいのだ。

ふてくされているディルスに気付いたのか、ブラッドがヒョイ、とディルスの顔を覗き込む。



「わ、だんちょ・・・」

「ディルス。この街を自警団の人たちと守るってのも、経験の一つになるんだぞ?」

「・・・・・・・わかって、ます。」



かぁ、と熱くなった頬がおさまらない。
そうか、団長には自分の考えてる事なんて全部筒抜けなんだなってわかって、更に頬が熱くなったのがわかった。



「さて、団員達を集めようか。今回のメンバー、大体決まったよ。」

「メリーアン殿とマーリン殿は、今第二市壁区に向かっておりますが」

「うん、あいつらはいいよ。外にいる奴もいるだろうから、呼んでくる。」

「拙者も同行致そう。」

「ああ、ありがとう。」



少し早足で、テーブルの間を縫っていく二人を見つめながら、ディルスは深い溜息をつく。
今回は、お留守番だ。

けれど、このとなりにいるバカ面だけは、放っておくには悔しくてたまらない。
ディルスはムスッとしたまま、隣にいる兄、バルスを睨みつけた。


「何がおかしいんだよ、バル兄。」

「べっつに?」

「何だよ、メンバーに入れて貰ったからって調子乗っちゃってさ。
 怪我しても俺、知らないよ。」

「負け惜しみにしか聞こえねーなぁ。ま、お前はまだまだ先があるんだから、今回はここで頑張れよ。」


バルスの言ってる事は正しい。
・・正しいのだけど。
どうにも、言い方が、気に障るというか、からかっているような色を含ませているような・・・
ディルスはムカムカとなる自分の胸のうちを、押さえられない気がした。

カッとなって言い返そうとしたのを、止めた手。


長兄のセリウスが、バルスとディルスの手をぎゅっと握っていた。


「・・・ここまでに、しような?」



半月に緩く細められる瞳は、長い黒髪に邪魔されてよく見えない。
声はとんでもなく、穏やか。
視線は、曇りもなく、まっすぐ。

こんな時。
いつも抜けている自分の兄が、確かに"兄"なんだと感じられるときだ。


バルスもディルスも怒気をそがれたのか、互いの顔を見て、少し恥ずかしくなって俯いた。
セリウスは満足そうにひとつ笑って、また机に突っ伏したのだった。












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第二市壁区は相変わらず砂まみれ。
ごうごうと音を響かせて走る風は、地面の砂を巻き上げて去っていく。





「今回は、キングリオンから逃げてきた人はいないんだね。」

「うーん・・・町の様子、聞きたかったんだけどねぇ。ほら、ちょっと前に、町の近くに避難場所作ったとか
 言ってたし、そこじゃないかなァ。」

「でも、今回の魔物はあのネズミなんでしょ?大丈夫じゃないかな。」

「わかんねェだろォ、そんなの。ネズミつっても魔物なんだからさァ。」

「そうだね。」




坂道を降りていくと、ぽつんと小さな小屋が目に入る。
井戸水に砂が混じらないように建てられたもので、その小屋の中に井戸がある。
もちろん小屋に戸には鍵が掛かっていて、その鍵はこの壁区の住民しか開ける事の出来ないものだ。

二人はすぐ側にたつ、住民のリーダーが住んでいる家の戸を叩いた。



「すいません。だれか、いらっしゃいますか。」



コンコンと、マーリンが控えめなノックをする。
暫くして、のそりと顔を出したのは、背の低い初老の男だった。







「何じゃあ、また来たんか。」

「ごぶさたしてます、リムロス区長。」

「久しぶりじゃなぁ。二人とも男前になったもんだ!!
 で、今回も水を買いに来たんじゃろう?」

「さっすがぁ、わかってんじゃん区長ォ。」


リムロス区長と呼ばれた男は、長い髭をさすりながら朗々と笑う。


「まったく、いつ見ても酔狂な連中じゃ。無償の魔物退治なんぞ、中々出来るもんじゃないわい。
 ほれ、今回は桶一杯50ゴートにまけてやろう。」

「50ゴッ・・・や、安すぎじゃないですか、区長」

「元々、ただで湧いとる水じゃ。汲み過ぎんかったら、その値でかまわんよ。」

「まあまあ、マーリン。ここは有難く頂いとこうよォ。区長、いつもありがとねェ。」


「おお、団長殿に頑張ってくれと伝えといてくれよぉ!」

「りょーかぁい」



手を振って別れて、二人は小さくガッツポーズ。
早速後で水を汲みにこよう。
魔騎士の兄弟は力があるから、彼らにも手伝ってもらうといい。

今回は中々、良い交渉結果だ。
第二市壁区の坂道をのぼる足取りがとても軽い。
さあ、酒場に帰って団長に報告しよう。


メリーアンとマーリンは、鼻歌を歌いながら酒場への坂道をのぼっていった。
日照りは相変わらず、地面をギラギラと照らしていた。









その頃、酒場では。
端っこのテーブルにに陣取った魔騎士三人組の周りに、ミラノ騎士団員が集まり始めていた。



「あら、バルス。まだバテてたの?案外だらしないわさ。」

「もうバテてなんかねーよっ」

「あれ、マーリンはまだ帰ってないのね。」

「あ、もうすぐ帰ってくると思うんですけど・・・」



まだ若いフェルリットと、年長者のテルミンがやってきて、騒がしかった団員達が少し落ち着く。
メリーアン、マーリン、それに、テルミンとレルミ。彼らが、今の騎士団の主力だ。
テルミンはマーリンの妻で、二人とも戦闘では抜群のコンビネーションを見せる。

メリーアンの妻だったヴァルミアは、五年も以上前に退団している。
翌年に起こるアクラリンドの災厄の為、カンメルの船に乗る数人の団員達のまとめ役を買って出たのだ。

けれど、そんな彼らが団に残れるのもあと五年以内の話。
来年の災厄を回避すれば、彼らの役目はもう終わりだろう。
騎士団を支える次の世代は、この若いヨムライネン家の青年達や、もう少しで入団してくる騎士団員の子供達だ。



「フェルリット、団長は?会ってないのか?団長、お前ら探しに行ったんだぞ?」

「大丈夫、ちゃんと会ってるわよ。ついでだから、メリーアンさん達見つけてから行くって言ってたわさ。」

「あ、そ。」

「ええ。それにしてもアンタ暑そうな格好ね。脱げないの?」

「そう簡単に魔騎士の鎧が脱げるか。」





酒場は屋内といえど、暑い事にかわりない。
あのセリウスでさえ、顔を顰める暑さだ。暑さは体力を普段の倍は奪う厄介者。
フェルリットも帽子を脱いでパタパタと扇いでいるし、テルミンもさすがにこの暑さには参っているようで、
いつもより落ち着きがない。
レルミは相変わらず涼しい顔で、よくはわからないのだけど。


「ねェ、テルミン。」

「何かしら。」

「今回はキツい遠征になりそうね。私達、戦いおさめですもの。気を引き締めていきましょう。
 なめてかかると死人が出そう。」

「・・・・そうね、レルミ。」



こっそりと、一言二言交わす言葉。
フェルリットは、二人の言葉にブルリと身を震わせた。
そう、この暑さの中を遠征するという事が、どれだけ辛い事かなんて自分達はまだ知らない。
だからこそ、身震いしてしまう。

魔物と戦うだけでも精一杯の今の自分。

バルスが怪訝な顔をしているのはわかったけど、フェルリットは俯いた顔を上げる事が出来なかった。




「ただいまぁ」

「今戻りましたー」

「皆、待たせたな」




カランカランと店のドアにつけられたベルが鳴る。
ブラッド達が、帰って来たようだ。



「おかえりなさい、みんな」


「ただいま、テルミン」

「ただいまぁ。いいねぇ、奥さんが出迎えてくれるってのはさぁ。」

「よしてよ、兄さんたら」

「耳が痛いな・・・・。すまない、メリーアン」

「わかってるよぉ、団長っ。てか、ヴァルミアが自分から行くつったんだから。
手紙も届いてるし、だいじょぶさ。」

「・・・・そうか」




とりあえず座りなさい、と、レルミに促されて、とりあえず奥のテーブルへ向かう。

セリウスは相変わらず机に突っ伏していた。
具合が悪いのかと弟達に聞いてみたけど、首を傾げるばかりだ。


メリーアンがコホン、とひとつ、わざとらしい咳払いをした。


「皆ァ、聞いて驚け!今回はリムロス区長が奮発してくれた!」

「そうなんだよ、水、安く売ってくれるって!」



わぁっと歓声があがる。
ブラッドも、嬉しそうに微笑んだ。

彼が一番嬉しそうな顔をする時は、いつだって団員が笑っている時だ。


「・・・そうか、後でお礼を言いに行かないとな。
さて、遠征の話をしよう。」




その後は、キングリオンまでの遠征の話。
ほぼ二ヶ月の旅。
道先案内人はいない。もう三回目ともなれば、ルートも覚えるというものだ。
荒野を突っ切るのは難しい。なので、森沿いに進んでいく。
森沿い危険といえばそうだけれど、荒野よりはあらゆる面で楽だ。

キングリオンを襲ったのはヒュージラットという魔物。
今の戦力ならば、決して負ける相手ではない。

そして今回のメンバーからは、ディルスが外れる事になる。







「とにかく、来年には予言の災厄が控えてる。
出来るだけ早く出発したいんだ。大丈夫なら明後日・・いや、明日にでも。」

「そうね。早い方がいいわ。そこの坊や達は、明日でも大丈夫かしら?」

「んなっ、坊やって俺らの事か!」

「ちょ、バル兄!おさえて!!」

「ふふ、ごめんなさい。」

「もう、レルミったら。からかうのはよしなさいよ。」



クスクスと小さく笑う。
彼女がこんな風に人をからかうのは珍しい。
多分、気に入っているんだろう。

ブラッドは苦笑すると、もう一度彼らヨムライネン兄弟に尋ねた。



「やっぱり、明後日がいいか?」




セリウスが、むくりと顔を上げる。


「・・・・・・俺は、明日でも・・・」

「俺もいつだって大丈夫だぜ、団長っ」




「頼もしいな。・・・けど、無理はしないでくれよ。
無理をすれば、それが団員全員に跳ね返ってくるんだからな。」






出発は、明日。
各自きちんと体を休めるように。

そう団長から言い渡され、その日は各々、早い眠りについた。
・・・まあ、例外もいるけれど。




「もう、あなたの我が儘には呆れるわ。」

「だって、これから二ヶ月ずうっと、お酒が飲めないのよ?今のうちにちょっとだけでも飲んどきたいのよ。」

「・・・・仕方ないわねぇ・・。いい?一時間だからね?遠征には差し支えのないように。」

「うふふ、ありがとテルミン。」




ゆっくりと夜はふける。

これから待つ厳しい旅路の事はこの際忘れる事にしよう。
レルミは小さく溜息をついた。







「・・・・悪い事、起こらないといいんだけどね。」