【風に歌えば:01】







早いもので、ウェルが入団してからもう二年たった。
今年はティアルの弟のルーアンも入団。
昨年には騎士団の古参でもあったテルミンが退団し、入れ替わりにサムライのムルガが入団した。
騎士団には新しい人材が充実しつつある。


しかし遠征の道のりは長い。
目的地に辿り着くまでに、一年かかる事さえある。
そんな途方も無い遠征にもやっと慣れてきた頃。

ゼッタの村に現れた魔物を退治する為に、騎士団は湿原の中を進んでいた。




「に、しても・・・足場悪いわねぇ・・・」

「仕方ないよ、魔物が現れてからここ数十年、旅人なんてほとんどいなくなったしね。」

「・・本当に大丈夫なのかしら、この道・・・」



最近人通りがめっきり減った湿原の道。
昔は旅人達に踏み固められ、街道とは言えないものの、通り道らしきものはあった。
しかしここ数十年でその道も少なくなってきた。
必然的に、道なき道を探り歩く事にもなる。

前を歩くティアルと、その兄のウィラン。
その足取りは二人とも軽い。
ティアルも遠征には慣れてきたし、ウィラン至っては冒険者だ。当然だろう。
かくいうウェルも入団して二年。
さすがに一度目の遠征では遅れを取る事もあったが、今はそうでもない。

今は・・・・


「ぎゃーー!!!!」

「きゃあ!ルーアン!!」

「ルーアン!?」




「・・・・・・はぁ・・」

今は、ルーアンのおもりで手一杯だ。





「ルーアン・・・しっかり歩け。」

「ううう・・・ウェルー、ありがとー」

「ルーアン、大丈夫っ?もう!」


湿原のぬかるみに足を取られたんだろう。
盛大に転んだルーアンは膝をどろどろにしてウェルの腕に掴まった。
叫び声に気づいたティアルとウィランがこっちに向かってくるのが見える。

背も低く、小柄なルーアンだ。
しゃがんでしまえば湿地の草に隠れて見えなくなってしまう。
もし誰も気づかないで行ってしまったら・・・そのまま置き去りだろう。
それを心配しているのかしていないかは定かではないが。
ルーアンの姉と兄が、しんがりのウェルにルーアンを頼むと言ってきたのは、紛れも無い事実だ。

「ごめんねウェル・・・」

いつになく、しょんぼりした風に見えるルーアン。
調子が狂う。



「さっさと行くぞ。気持ち悪い顔するな、元気だけがとりえのくせに」

「なっ、なんだとー!!」



でも、単純なのが唯一の救いだとウェルはひそかに思った。










------------------









ウェルは、湿原での野営があまり好きではなかった。

草原や平野なら、布を一枚ひけばそれで事足りる。
しかし湿原ともなれば、そうする場所も限られてくるというものだ。
下手すれば泥水に沈む運命が待っている。

野営の準備は、出来るだけ地盤のしっかりした場所を探す事から始まるのだから・・
当然、昼間も足場の悪さのせいで遅れを取る分と合わせれば、目的地につくのも遅くなる。

覚束ない足の裏の感触は、ウェルを少しだけ不安にさせた。






「団長、ここで大丈夫そうですね」

「そうだな、じゃあ今日はここで野営にしようか。」






野営の場所を決めて、今日の料理番のウィランがスープを作っている。
スープを掻き混ぜるその笑みが魔女よりも恐ろしかったのは、もう見て見ぬフリをするしかない。
同じようにウィランを見ていたムルガも、一瞬固まった後物凄い勢いで明後日の方向を見た。

そう言えばこのあいだはスープに蛇が入っていた。
もちろん、調理して、食べれるようにして、なのだが。味も申し分なかった。
しかし、もちろんその逆もある。
ある意味・・・この気まぐれなウィランの料理は、この騎士団で生き残る為の試練の一つと言える。


団長にウィランを料理番にしないでくれと頼んでも、無駄なのだ。

『なんだ、ウィランの料理おいしいじゃないか?』

団長もまた、生で草を食べるような味覚バカだからだ。



あやしげなスープやら干し肉やらをなんとか腹におさめて、各々武器の手入れや、明日の準備をし始める頃。
月はもう、山脈からは遠く離れた場所に浮かんでいた。




「あっ、ウェル」


せっかくの月明かりだ、とウェルも自分の弓を取り出したのだが。
それはあっさり阻まれた。
ティアルがぱたぱたとこちらに走ってくるのが見えたからだ。


「ティアル。・・・何か用か?」

「えーとね、ルーアン知らない?
火の傍にいないからウェルのところかなって思ったんだけど・・・」

「・・・いや。いないのか?」

「うん・・。ね、ちょっと一緒に探してくれないかな?」



片目をつぶって、彼女にしては申し訳なさそうに言ってくるので。
ウェルはため息をついて、立ち上がるしかなかった。









今日は月が明るい。星も隠れてしまうほどだ。
浅く広がる水場は月の光を受けてきらきらしていた。
そう遠くには行ってないだろう。勝手にそう決め付けて、ウェルは草を掻き分けて進んだ。

大体日も落ちたというのに誰にも言わずにどこかに行ってしまうなんて。
団員としての自覚がない証拠だ。
見つけたら、どうしてやろう。

探し歩くうち、ウェルはかろうじて野営の火が見える距離まで来た。
団員達の談笑する声も、湿原を渡る風とそよぐ草の海に遮られて聞こえなくなった。
夜の闇に沈んだ湿原は、どこまでも広く、果てない海のようだ。

聞こえなくなった談笑の代わりに、小さな弦の音を、耳が捉える。
風上から流れてくるのは、竪琴の弦が弾かれる音だ。
ウェルはそのまま、音が流れてくる大きな岩場に向かった。



低い草の生える湿原に、ぽつんと大きな岩が鎮座している。
そこから、弦の音は聞こえていた。
月の光を受けて、淡く紫に染まっているように見えた。



「ルーアン。」



岩に向かって話しかける。

弦の音が止まり、しばらくすると、小さな影がが岩から顔を覗かせた。













「ルーアン。単独行動するな。しかも夜中に。」

「・・・・あのさ、ウェル」

「・・・人の話を聞け」

「湿原てね、不思議な生き物とか植物が多いんだ。」



ルーアンは足元の草を撫でながら、そう言った。



「昼間、見たこともない綺麗な白い鳥が飛んでた。
ここで冬越して、また戻ってくんだ」

「水の上に、すごくでっかい草が浮いてるんだよ。
俺が乗っても沈まなさそうなぐらいでーっかいの」

「あとね、すごく綺麗な虫も見つけてさ、
虹みたいにきらきらしながら飛んでたんだ」



「・・・・・・」



ああ、そうだ。
こいつは、こういうやつだった。

ルーアンはどこまでも真っ直ぐに世界を見るやつだ。

感動したり、嬉しかったりしたら、それを声に出して表現しないと気がすまない。
綺麗なものを見たり聞いたりしたら、今みたいに一人でハープを鳴らしていた。
ルーアンにとっては何もかもが新しくて、何もかもが美しくて
そしてそれがどうしようもなく嬉しいんだろう。

ウェルはふと、二年前の自分を思った。
皆についていくのに必死で、周りなんて何も見えていなかった。
鳥が飛んでるだとか、草が浮かんでるだとか、虫が綺麗だとか。
そんな事言ってる余裕なんてこれっぽっちも無かった。
夜は泥のように眠って、物思いにふける事も無かった。




「・・・ルーアン。やっぱりお前、どっかずれてるな。」

「えー、なんだよそれー、ウェルに言われたくないって」

「俺もルーアンには言われたくない。」

「なんだよウェルのばーか。でべそー、はげー」

「・・・でべそでもハゲでもない・・・」




相変らず草の原はざぁざぁと波打っていた。
ウェルがぼうっとしていたら、ルーアンはやっぱり嬉しそうに、


「すっごいなー、海の真ん中にいるみたいだ」


ハープの弦を弾きながら、そう言った。









明日は早いって団長が言っていたのに。
ティアルだって、もしかしたらウィランさんだってまだルーアンを探してるかもしれないのに。

ああ、何をしてるんだか。

ウェルは岩場に腰掛けたまま、あと少しの間、てっぺんに迫る月をぼうっと見上げる事に決めたのだった。








1062年、ルーアン・ヴィトル初遠征のお話。
のそっと続いちゃいます。
今回はヴィトル家とウェルがメイン。

一応"荒野に歌えば" "月夜に歌えば(短編で途中放置中)"
シリーズにあたります。