挿入話:手












『誓いな、ゲド!
お前の右眼と、あたしの右手に掛けて!
恨んでもいい、呪ったって構わない!
だから!!
・・・・死ぬんじゃないよ、ゲド・・・・』














―手―














彼女に初めて出逢ったのは、17の時だ。
白銀の世界に溶け込むように佇む彼女は、とても美しかった。














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常冬の、夏以外に雪のやむ事のないこの国はとても貧かった。
唯一誇れるのはその軍事力だけで、それだけがこの国の命綱だったのだ。
明日のパンすら調達出来ない。

皮肉な事に、平和であればあるほど、この国は衰退の一途を辿っていくのであった。
このような高山地帯では農業の効率も悪く、かと言って家畜を飼えるような環境でもない。
交易という手もあったが、軍事力しか持たないこの国に何が出来るか・・・。

この地を離れようにも、この地に纏わる神への信仰心がある限りそれを成し得る事は出来ないだろう。

国王は温厚で、他国への介入をよしとしない人物であった。
例えそれが国の衰退に繋がったとしても、人としての最後の良心を突き通したいという意向は国民も受け入れていた。














それも、ある日を境に一変する。














ゲドが十歳の時だった。

母は家計を切り盛りするのに大変で、父は毎日のように仕事を探しに行っては沈んだ顔で帰ってくるという繰り返し。


それが、急に変わったのだ。






その日の食卓はいやに賑やかで、ゲドは困惑した。
そんなゲドに母は一言、



『いいのよ』
と言って微笑んだ。









子供心に腹いっぱい食べられるというのは純粋に嬉しい事だ。
だからゲドは何の疑いもなく席へつき、はじめてかもしれない量の料理を食べつくした。

嬉しさのあまり気付かなかったのは、いつもいる父が食卓にいなかった事だった。




















「母さん、父上は?」

「父さんはお仕事に行ったの。
頭の良いあなたならわかると思うけど、最近近隣諸国で紛争が起こってね。
お仕事がたくさん入ってくるのよ。

だから・・これからはたくさん食べれるわ。」

「本当ですかっ?」

「ええ。」

















そう、その日を境にこの国は豊かな国へと発展して行ったのだ。
そして逆に、戦乱は留まる事を知らずに拡大していった。














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それから数年が経ち、ゲドは17歳を迎えていた。
17と言えば、もうこの国では大人と認められる。
ゲドは病気がちな母の為にもと軍人になる決意を固めていた。

父はゲドが14の時に戦死していた。














試験の朝。

濃い白い霧が立ち込め、昨晩降り積もった雪は朝日に照らされてキラキラと輝いている。

城下町の広場にある噴水。
夏しかその意味を果たさないその噴水は、今は水もろとも凍りついて巨大なオブジェ状態だった。

人通りはまったく無い。
真っ白い空間にはゲド一人しか存在していなかった。







ザクザクと雪を鳴らしながら、通いなれた道を進む。
路地を曲がり、長い階段を滑らないようにゆっくりと登った。
しばらく進むと、城門前の広場に出る。


そこは見事に何も無い正に広場と呼ぶにふさわしい空間で、祭りなどは主にここで行われていた。














「・・・・・?」








ふと、ゲドは目線を少しあげた。





―――何かが動いた・・・?―――










真っ白な空間に、動くものがある。
動物ではない。
人だった。





雪のように真っ白な、人だった。















「ここで何をしている。」


「?あ、この国の人?」


「・・・俺の質問に・・」

「ああ、ごめんね。私旅の途中でここに寄ったんだけど。・・・宿が無くてね。ぐるぐる周ってたらここに来たんだ。」






その女性はこの国では珍しい灰銀の髪を持っていた。
すらりと通った鼻先は異国情緒を感じられたし、整った顔立ちは青年に淡い恋心を抱かせるには充分だった。

そして何より、その肌の白さ。
こんな極寒の地に住む自分でさえも思わず目を見張るほどの白さ。

身に纏う服すら真っ白で、本当に雪の中に溶け込んでしまいそうだった。








「ねえあんた。この近くに宿はないの?」

「あ・・・ああ。こんな所に来る変わり者はそういないからな。
城下町の北東にある事はあるが、あのあたりは女性が一人で行くには少し危険だ。」

「へえ。私はこの町気に入ったんだけどね。」

「・・・そうか。」

「うん。決めた。暫くここに腰を落ち着けるよ。
あんた、いい場所知らない?」

「・・・・。」





初対面だと言うのに妙に親しげな態度を取ってくる女性に、ゲドは少したじろいだ。
何しろこの性格だから、女性と話すなんて事は母を除けば数回くらいしかなかったのだ。
何より彼女は・・・美人だった。





「何だ、どうしたの?私があんまり綺麗だから見惚れちゃったのかい?」

「・・・っそんな訳ないだろう。」

「顔赤いんじゃない?若いっていいねえ〜。」




けらけらと笑う女性に眩暈がする。
でも、悪い気はしなかった。



「・・・先程の件だが。
俺の家隣に借家がある。金があるならこの先の王城受付まで行ってくるといい。」

「え?ホントに?ありがたいね!礼を言うよ!」





彼女はぱっと顔を明るくさせると踵を返して駈けて行った。
灰銀の髪が朝日に照らされて輝く様を、ゲドは見えなくなるまで見つめていた。










「・・・そろそろ行かないとな・・。」








ゲドは名も知らぬ彼女を見送ると、腰に下げた剣を揺らしながら歩いていった。
















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時が流れるのは早い。
あの鮮烈な出会いから、既に20年が経っていた。

母は既に他界し、ゲドは妻と子供をもうけていた。



そして、彼女もまたその地に留まっていたのだ。












「おはよう、ゲド。」

「ああ、おはようメリダ。」








彼女の名はメリダ=フィークレストと言った。
ハルモニアの名家の息女であったらしい。

だが、父が謀反の疑いをかけられ一族もろとも処刑されてしまったと言う。
メリダだけが生き残り、こうして逃げまわりながら旅を続けていたのだと。



そして逃げる際、彼女はその国の宝を奪ったらしい。

それが何かは、今も教えてはくれなかった。


















「今日は?」

「部下達の訓練でな。」

「あらら。軍人さんも大変だねぇ。
奥さんと子供泣かせちゃ駄目だよ?」

「ああ、わかってるさ。」





彼女は20年前と同じ顔でにこりと笑った。

変わらない笑顔、変わらない姿。
これは呪いだと彼女は言った。


だからゲドも敢えて追求はせずにいた。
その事を話す時の彼女の泣きそうな顔を、見たくなかった。










「行ってらっしゃい、ゲド。」

「ああ。」















どんよりとした朝だ。
あまり、いい気持ちはしない。



ゲドは空を見上げながら、王城への道を急いだ。



























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誰が。
こんな事を予測しただろう。





なだれ込んで来る蒼の集団。
蹂躙される白。

圧倒的な武力と数。



無差別に放たれる紋章の力に逃げ惑う人々。
ゲドは城下町への階段を駆け抜けた。








雪のせいで思うように動かない足がもどかしい。
蒼い集団を薙ぎ払いながら進み家の前についた時には、ゲドは体中返り血に乱れていた。

遠くで悲鳴と怒号が入り混じった声が響いている。




ゲドはゆっくりと、扉を押し開いた。














飛び込んできたのは、凄惨な光景。
愛する妻と、愛しい息子と。


二人は寄り添うように壁際に倒れていた。





「・・・ッ、ミハルッ、エスト!!!!」





駆け寄り抱き上げてみるものの、その体は既に熱を失っている。
喧騒も爆音も、ゲドには聞こえなかった。

ただ、目の前の現実に打ちひしがれて何もする事が出来なかった。
ただ、もう動かない二つの体を抱きしめ続ける事しか出来なかった。















「いたぞ!!フィークレストだ!!」


「逃すなっっ!!」
















ふと、聞きなれた単語が耳に飛び込んでくる。



「フィークレスト・・・だと!?」




ゲドは目を見開いた。
あの蒼い集団の狙いは彼女なのか。









ゲドはミハルのペンダントを懐にしまいこむと、家を飛び出していた。














「あんたら正気かいっ!?
こんな・・・こんなものの為に今更!!
国一つを滅ぼす価値がこんなものにあるっていうの!!??」

「そうです、フィークレスト。
あなたはそれ程の大罪を犯したのですよ。」



蒼い布に身を包んだ男が静かに口を開く。




「もう一度言います。
フィークレスト、その紋章をこちらへ渡しなさい。」

「・・・・嫌。
あんたらなんかには絶対渡さない・・・!!
死んだってね!!!!



来い、雷槌よ!!!!」




「なっ・・!みな、引け!!!!」











上空から降り注ぐ光の槍。
その光にゲドは魅入ってしまった。





全てを破壊する力。
守れる力。



もしこの力が、あったなら。










「ゲド!!!!!」

「・・・っ、メリダ!!!」


我に帰って、メリダに駆け寄る。



「ゲド、私・・・私・・・っっ!!」

「・・・逃げるぞ、メリダ!!」








ゲドはその細い腕を掴むと走り出した。
何処へ行くでもなく。

逃げ場所など、なかったのだから。
















「ハアッ、走りながらでいい。聞いて頂戴、ゲドッ。」

「ッ・・・ああ。」

「私が不老なのはね、この紋章のせいなんだよ。」

「紋章?」

「真なる雷の紋章。27の真の紋章の一つで、ハルモニアの大神殿に納められていたもの。」

「何故それを奪った?」

「父の遺言だよ。
”ハルモニアに真なる紋章を渡したままではいけない。
今はまだ分からなくてもいい、いずれ世界がその答えを導き出してくれるだろう”
その時の私には正直、わけがわからなかったよ。」

「・・・・。」

「でも、これを奴らに渡してはいけないんだ。
紋章が私にそう言ってる。」

「だから・・・・お願いだよ、ゲド。これを・・・・っ!!?」














耳の側で、空気を切り裂く音。




「ぐっ!!?」

「きゃああっ!!!!」














飛び散った石の破片がゲド右目に突き刺さる。
メリダの右腕は爆発で切断されていた。






「メリダ、メリダ・・・!」

「大丈夫・・・。魔法のトラップだね・・。迂闊だった。」








苦しそうに喘ぎながら、地面を見回すメリダ。
やがて一点を見つめると、駆け寄って何かを拾った。

彼女が歩いた場所には、赤い線が出来ていた。



「メリダ・・・何を。」

「・・・右目、悪い事したね。綺麗だったのに。」

「これくらい・・・かまわん。」


「ねえ、ゲド。
あんたなら聞いてくれるよね?」

「・・・・・・。」

「コレを持って、逃げて。」



差し出すものは己の右手。



「何を馬鹿な事を・・・・!!」

「二人で逃げれば足手まといになるのは私だ!!
この紋章を守って欲しい。
私はいつでもゲドと共にある・・・!!」







後ろから足音が聞こえた。







「さあ早く!!!」

「・・・・!!」




メリダは血にまみれた右腕をゲドに握らせ、そしてその上に左手を置いた。

拒めなかった。
これ程激しい感情をぶつけてくる彼女は、初めてだった。



「この紋章は呪いだ。
あんたを苦しめるかもしれない・・・・。」


熱い熱が伝わって、ゲドは目を細めた。


「・・・。」


「私はあんたが好きだ。
こんな事今更言って・・・どうにもならない事はわかってるよ。
でも、好きだからさ。あんたには、死んで欲しくない。
絶望に伏したまま、その生を失わせたくない。」


「メリダ・・・。ならばお前はどうなる!?
お前が絶望に伏したままでは、俺は・・・・っ!!」


「大丈夫。
あんたが生きているって信じられるのなら、私は救われる・・!!

だから・・・・誓いな、ゲド!
お前の右眼と、あたしの右手に掛けて!
恨んでもいい、呪ったって構わない!
だから!!
・・・・死ぬんじゃないよ、ゲド・・・・」

















一際右手に熱が集中し、一瞬閃光があたりを包んだ。














「行きな、ゲド!!行くんだ!!
逃げて・・・逃げて・・・お願いだから、生きて!!!!」














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走った。
山道を駆け下り、川を渡り、ひたすらに逃げた。

右手が熱い。
ただそれが、彼女が生きていた証。




雪はもう、止んでいた。















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「貴様・・・フィークレスト!なんという事をしてくれた!!」

「ふん。ちんたらしてるあんたらが悪いんじゃないか。」

「くっ・・・殺せ!殺してしまえ!!!!」

「・・・・馬鹿だね。あんたらなんかに・・・殺されるもんですか。」














「・・・さようなら、ゲド・・。」



















「!!この女、舌噛みやがった!!」

「・・・っもういい!その辺に捨て置いておけ!
それよりあの男を捜せ、早急にな!!」




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しんしんと降り積もるこの山には、昔小さな国があった。
その国は今は雪に埋もれ、その姿を見る事は出来ない。


大国に蹂躙されたとも聞く。
飢えと乾きで皆息絶えたとも聞く。
国を捨て、放浪しているとも・・・。









全ては真っ白な雪と、一人の男の心のうちにだけ残されている。
しんしんとふりつもる雪は、どこまでも真っ白だった。














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