すすり泣く声が煩くて、何度耳を塞ごうと思ったか。 狭い路地を挟んで立つ高い高い石の壁は、まるで自分達を押し潰すような圧迫感を感じる。 その壁に沿って立つ黒服。 みんな泣いてる。 俯いて、歯を食いしばって、ハンカチを目に押し当てて。 僕の頬に涙は流れない。何の感慨もわかない。 少しくらいは泣きまねて見せた方がいいのだろうか。僕はそんなことをずっと悩んでいた。 「ご苦労さん。」 「・・・・。」 「機嫌悪ィなあ。水飲む?」 「飲む。」 酷く気分が悪い。 きっとあの雰囲気にあてられたんだろう。 重苦しい、まるでカビかコケでも生えそうな陰鬱なあの空気に。 着慣れた胴着でなく、真っ黒い喪服で突然尋ねてきたヤタを、テッドは訝しがるでもなく中に招いた。 渡されたコップ一杯の水を飲み干して、乱暴に襟をくつろげる。 本当に気分が悪い。 悼む気にもなれない。 「でー?今日はどこのどなた?」 「・・・親戚の・・ルグリムの息子が、堀に足を滑らせて落っこちて、死んだそうだ。」 「は?何だよそれ、笑い話じゃん。」 「ああ。確かにそう思う。・・・でもテッド、思っているだけと言葉にして出すのとは、違う。 どこで誰が聞いているか、わからないんだからな。」 「おお、あれだな!壁に耳アリ・・障子にメアリー?だっけ。」 「・・・メアリーって、誰。」 不謹慎ながらも、気持ちが少し浮上したのがわかる。 今日は親戚の息子が不幸にあったという事で、ヤタも父であるテオと葬儀に立ち会うことになった。 ルグリム家はマクドールの遠い親戚にあたる家だそうで、宮廷内でもそれなりの地位についていた。 そんな家の息子が、足を滑らせて堀に落ち、あげく死んでしまったという。 なんと、滑稽な笑い話であろうか。 人の不幸は蜜の味、とはよく言ったものだ。 本人からしてみれば泣き喚きたくなるようなことも、他人から見ればただの笑い話なのだ。 すすり泣く声はまだ耳に反響している。 そして同じように、忍び笑う声もする。 堀に落ちて死んでしまった馬鹿な男。 家の名に恥を被せ泥を塗った親不孝者。 帝国の文官である彼の父は、情けない我が息子の死に何を思ったのか。 呆れか、怒りか、それとも憎しみか。 哀れな男の死に様は、誰からも哀しまれることのない寂しい死に様だった。 沈黙がその場を支配した後、ヤタがポツリと呟く声。 「なんでお葬式の時、みんな泣くんだろう・・。 悲しいのは自分だけで、きっと・・死んだ人は最後に見るのが泣き顔なんて嫌だと、思うんだ。」 「・・・お前、変な奴だよな。」 「煩い。」 「・・・でも、ま。それは俺も思うかな。 最後の最後が泣き顔なんて、死んでも死にきれねぇじゃん。」 「・・・テッドも変な奴だね。」 「うっせ。」 「じゃあ、さ。 もし僕が死んでしまったら、テッド。君は笑っていて欲しい。」 「・・・・何、言うんだよ。」 「君の泣き顔なんて、見たくないからね。」 「・・・考えといてやるよ。 じゃあお前も笑えよ?約束だぞ?」 馬鹿な約束を交わした。 いつか果たされてしまう、馬鹿な約束。 「君、本当に変わってないんだね。」 「ルック・・・」 「いつまでも過ぎたことを引き摺ってる。 あの青いのと変わらないね。」 「・・・・君に何がわかる。」 「わからないね。わかりたくもない。」 そう、僕は引き摺っている。 でもどうしようもないんだ。 君の笑顔が、もう一度見たい。 ******前向きにいこう。 僕は君の明るさにいつも救われる。 例えば雨の日だったり。 どうしようもなく右手が疼く日だったり。 酷い夢を見た日だったり。 そんな時に君と話したり、同じ時間を過ごしたりすると、気持ちが軽くなる。 君はまるで彼のようだ。 はにかんだように笑ったその顔が、どうしようもなく・・・。 でも、違う。 どうしようもない未視感。 見たことがあるのに・・・わからないんだ。 君の笑顔を見てると、思い出せそうで、思い出せない。 君は彼と同じではないから。 「ヤタさん、釣りに行きませんかっ?ほら、すごく良い天気だし!」 「うん、そうだね。」 「・・・あれ??なんだか顔色、悪くないですか?」 「そんなこと、ないよ。」 「そうですか。じゃあ行きましょう!!暖かいとこでのんびり釣りしてたら、 きっと気分もよくなりますよ!」 「うん・・・ありがとう、リン。」 君はいつも元気。 とても前向きで・・・そしてとっても優しい。 僕は、いつも君に救われる。 耳の奥。 遠く遠くから声が聞こえる。 『お前なあ、もっと楽しく生きろよ!!そうじゃないとこの先持たないぞっ?』 『きっと楽しいことだってたくさんある筈さ!苦しいだけじゃない、俺が保証してやるっ』 『だからもっと笑えよ、前向いていけよ。』 『俺のこと忘れろなんて言わないさ。 でも振り返ってばかりじゃ駄目だろ?な?』 『前向いて、しっかり歩けよ!!ヤタ!! 俺はここで、ちゃんと見ててやるからな!!!』 目の前に大きな湖が広がる。 そして大きな空。 そして、重なった。 君と君の笑顔。 嬉しくて僕は思わず、顔を綻ばせたんだ。 前を向いて歩こう、君と一緒に。 |