「おぉい、ヤターー。出て来いよーーー。」 「今、行く。待ってて。」 テッドとヤタが出会ってから、既に三ヶ月。 出逢った時はとても寒い真冬日だった。 季節は冬から春へと変わり、最近は春の陽気がなんとも気持ちいい。 少しずつ暖かくなっていく季節は、気持ちを浮き立たせる。 人々の足を外へ向けさせる。 市は冬の時よりかは幾分か広がり、活気付いてきていた。 北方は国境の検問が厳しくて中々商人が入ってこられないから、向こうから入って来るものは 恐ろしく馬鹿高い値で売られている。 南方にはない、美しい陶器や大理石が主だった品だ。 最近は滅法減ってしまったが、この季節になると大森林の方からコボルトの商人もよく来たのだという。 彼らのつくる木彫り工芸はとても素晴らしいのだと、そうテッドが話していたのを覚えている。 「ヤターー?まだかよー?」 「・・・せっかちすぎだ、テッド・・・」 窓の下で大声で叫んでいるテッド。 太陽は既に高く昇っているから、もちろん通りには人が歩いているわけだ。 ・・・恥ずかしい。 お願いだからもう少し声を抑えて欲しい。 そんな事を思いながら、ヤタは急いで階段を駆け下りていった。 「おいおい、このテッド様を待たせるたぁ・・いい度胸だなぁ。」 「いつも早すぎるんだよ、テッドは。」 他愛のない話をしながら通りを歩く。 テッドに出会わなければきっと、出来なかったことだ。 初めは本当に戸惑った。 テッドが話しかけてきてくれても、どう返していいか分からなかった。 ただ曖昧に頷くだけで、テッドにはよく渋い顔をさせてしまっていた。 けれどテッドはけして僕に愛想をつかすことをしないで、しつこく会いに来てくれた。 僕から話しかけると、本当に嬉しそうな顔で笑うのが不思議で堪らなかった。 「テッド、今日はどこに?」 「ん?どこ行きたい?どこでも連れてってやるよ。」 「・・・ん。」 そう言って、僕の頭を子供にするみたいに撫でる。 いつからかこれは、テッドの癖になっていたみたいだった。 それを違和感なく受け入れていることに気付いて、軽くショックを受けたのは結構最近のことだ。 「そう、だね。今日は天気がいいから、外へ行きたい。」 「外・・・か。ま、大丈夫だろ。ちょっと待ってな、弓取ってくる。」 「じゃあ、僕はここで待ってる。」 テッドの借家は、この噴水広場からはそう遠くない。 走って行ったから、五分程すれば帰ってくるだろう。 ヤタは備え付けのベンチに座って、ぼんやりと空を眺めてみた。 雲がふわふわと流れている。 風が甘い匂いを運んできて、鼻がくすぐったくなった。 水の跳ねる音も、耳に心良い。 「・・・・いい天気。」 誰ともなくそう呟いて、目を閉じる。 このまま眠ってしまえたら、どんなにか気持ちいいだろうか。 ヤタがウトウトし始めて、数分。 パタパタと石畳をたたく軽い音がして、次の瞬間額にゴツンと何かが当たった。 「・・・った・・?」 「おーまーえーなぁ・・。人が必死こいて走ってきたってのに何呑気にうたた寝してんだよ!」 「え?あ・・ごめん。」 「・・・はぁ・・。もういいよ。さっさと行こうぜ。」 「え、ああ、うん。」 テッドはあからさまに溜息をついてみせると、ヤタの手をぐいっと引っ張った。 時間が惜しいとばかりに早足で歩くものだから、ヤタは半分小走りであったのだが。 テッドとヤタが言う「外」というのは、総じてグレッグミンスター、つまり帝都から出た場所の事を言う。 草原に住むモンスター、その他諸々の外敵を防ぐ為に街の周りを囲むように張り巡らされた堀のおかげで、 街に唯一ある大門以外からの出入りは不可能なのだ。 他にも、継承戦争時に使用されたという出入り口はあるらしいが、それはバルバロッサの勅命でしか 開かれることはないのだという。 それはつまり、「外」に出るにも「中」に入るにも、必ず大門を通らなければならないということ。 門というからにはもちろんのこと、門番というものがいる。 しかもその門番というのが厄介で、かなりの老年、テオの部下にもついたことがある男だった。 そしてヤタは、そのテオ=マクドールの一人息子。 顔を知らぬわけがない。 最近、帝都の治安は悪くなるばかりだ。 市では物盗り、喧嘩、恫喝なんかが当たり前のように起こっているし、住宅街から離れた裏路地なんかでは、 一週間に数回の頻度でボヤ騒ぎが起こる。 帝都を出ても周辺の森や草原、特に街道にはその手のゴロツキがウロウロしていて危険この上ない。 商隊は用心棒を雇うのが当たり前になっていて、それでも運が悪ければそいつらの餌食になる。 だらだらと続いたが、つまりはこういう事。 そんな危ない場所に、門番が子供二人だけで出してくれる訳がないという事だ。 「さぁって、どうすっかなぁ。」 「・・素直に大門を通れば・・・」 「馬鹿!通してくれるわけねーだろ。」 「?何で。」 「・・・・・・・。」 ”・・・このあたりがお坊ちゃんなんだよな・・・” テッドはこっそりと溜息をついた。 ・・とは言え、二人は一応大門に向かってみる事にした。 通してくれるなら、それにこした事はないというものだ。 しかし、まぁ。案の定。 「なっ、外に出られるですとっ!?いけませぬヤタ様ッ!! 今街道には昼夜を問わずゴロツキどもがうようよしておるのですぞ!! 我ら帝国近衛兵がいくら倒しても、後から後から湧きでてきよるのです! どうぞ、お父上を思うのでしたら御身を大切になされませ!」 ・・・こんな調子であっさり追い返されてしまったというわけだ。 「・・・テッド。」 「うーん、すごい声だったなぁ、あのじーさん。耳がキンキンするよ。」 「・・そうだな、外に行くのは、もうやめにしようか。」 「何でだよ。」 「何でって・・本当に盗賊なんかが出て、君が怪我なんかしたら・・」 ヤタはこころなしかしょんぼりしてそう言った。 諦めた、と言ったら嘘になる。 諦めきれない心はある。 こんな天気の良い日。テッドに、あの自分しか知らない綺麗な湖の風景、森の梢、 この街を一望できる小高い丘を見せて上げたかった。 ”昔はここまで酷くなかった。 街道も、安心して歩けた。” ヤタは傍目からもわかるくらい、大きな溜息をついた。 「・・・そんなに行きたいか?」 「え・・・・?別に、僕は・・」 「そっか。じゃあ俺は行きたい。だから着いて来てくんないか?」 「え・・ちょ、テッド?」 「な!一生のお願い!!お前の事は俺がちゃんと守ってやっから!!」 テッドはにっと笑ってヤタの手をとる。 何だかさらりとすごい事を言われた気がするが、気にしない事にした。 手をとって、一体何処へ行くのかと思ったら。 大門とは正反対の方向に歩き始める。 噴水広場を左に曲がり、行き着いた先は・・・ たくさんの色とりどりの花々、特に薔薇にその全貌を包まれた、ミルイヒ=オッペンハイマーの屋敷だった。 |