我ながら、なんと女々しいことだろうと思った。 古い良家にあるような厳めしさも重厚さもなく、 かと言って来る者を拒むようなおどろおどろしさがある訳でもない。 そこにあるのはただの、簡素な薄っぺらい木の板。 ・・・それだけだ。 それだけなのに。 どうして僕はこんなところでじっと突っ立っているんだ。 手を胸の辺りまで上げて、木の板に甲を近づける。 近づける、だけ。 そんな動作をもう飽きるほど繰り返した。 何を悩むことがある。 コンコンと叩いて、応対してきた人物にこのバスケットの中身を押し付けて帰ってしまえばいいだけの話。 なのに叩けないのは何故か。 バスケットの中身はグレミオが作った料理。もうすっかり冷めてしまっている。 ヤタはこっそり溜息を吐く。 いつもいつもこうだ。 自分から戸を叩けない。暫く突っ立っているとテッドが気付いて開けてくれるのだ。 その頃には暖かかった料理はほとんど冷めてしまっていて、僕は申し訳なくなって頭を下げるはめになる。 あれからもう一ヶ月たって、テッドとは時々会うようになっていた。 初めはまあ・・・気恥ずかしさからか避けていたけど、向こうはそんな事全然気にしてなさそうだったようで、 自分一人だけ気にしてたのかと恥ずかしくなってしまったのは結構最近のこと。 そして僕とあいつの変化をグレミオもクレオも感じ取っていたんだろう。 テッドの借家に用事を言いつける事が多くなった。 例えば。 「今日はたくさん作ってしまいましたから、テッド君を呼んで皆で食べましょうか・・。 坊ちゃん、呼んで来て下さいませんか?」 とか。 「これ、テッド君へのおすそ分けなんです。坊ちゃん・・・(以下略)」 とか。 やたらと僕とテッドをくっつけたがるのだ。 そうまでして僕に友達を作って欲しいんだろうか・・・。 まあ、そんなわけで僕は今、テッドの借家の前にいるわけだ。 「・・・何を躊躇う事がある。ノックをして、”グレミオから君にお裾分けだ” そう言えばいいだけじゃないか。」 扉の前でブツブツ呟くヤタ。 はたから見ればただの怪しい少年だ。 これがあの、天下のマクドールの御曹司と知れたら軽く噂になるかもしれない。 ・・・それくらい怪しかったのだ。 一つ深呼吸して、今度こそと扉に手を――――――― 「・・・何してんの。」 「・・・・・・・・。」 「何だよ、また差し入れ? ・・お前どーしていつも俺が開けんの待ってんだよ・・。また冷めてるし。」 「・・・・・・ご、ごめん・・。」 ・・・結局今日も叩けなかった。 -------------------------- 「へえ、今日はミートパイか。んまそーー!」 「・・じゃあ、僕は帰るから。」 「んあ?もう帰んのか。」 「ああ。また何か困ったことがあったら、うちに来てくれて、いいから。」 ヤタは抑揚のない声で、そう言った。 テッドは首をかしげる。 ”何か気に障ることでもしたっけか?” した覚えは・・・まったくない。 というか、する機会すらない。 ヤタとはこの間のことがきっかけで、会ったり話したりし始めたけど・・ それは、差し入れの時と夕食への招待の時だけだ。 それ以外は、何があったってこいつは俺には会いに来ない。 しかもこいつと来たら、喋らない。俺が話しかけたって容赦なく会話を切りやがるんだ。 一ヶ月前の、泣きながら俺の服を離そうとしなかったアイツは夢だったんじゃないか? そう思うくらいこの一ヶ月間のヤタは冷めた顔をしていた。 「・・お前、忙しい?」 「え?」 「いや、暇ならあがってけよ。大体これ明らかに二人分だろ。」 「・・・グレミオ・・・。」 ほんの少し。 ・・ほんの少しだけヤタが眉をしかめるのを、テッドは見た気がした。 とりあえず誘いを断るのもなんだからと、ヤタはテッドの部屋にあがることにした。 簡素な、グレッグミンスターには珍しい木の匂いが鼻をくすぐる。 勧められるままに椅子に座って、そしたら目の前に冷めたミートパイが丸ごと置かれた。 食べろということか。 ちらりとテッドを盗み見ると、彼は既にミートパイと格闘し始めていた。 『仕方ない・・。』 このまま何もしないでいるのも馬鹿みたいなので、僕はフォークを握ることにした。 暫く無言のまま、食器がカチャカチャなる音が響く。 少し、息苦しい。 沈黙が嫌いなわけじゃない。 煩いよりかは静かな方がもちろんいい。 でも、目の前の彼が喋らないのが、酷く何か、不釣り合いに見えてしょうがなかったのだ。 『普通なら話しかけるんだろうけど・・何話したらいいのか、わからない。』 酷く不器用な自分を見た気がして、ヤタは知らず知らず溜息を吐いていた。 本当なら、もっと楽しい食卓なんだろう。 テッドも思ってるんじゃないだろうか。 ”もし自分の前に座っているのが、ヤタじゃなかったら。” そうしたら、このミートパイだって、きっともっとおいしいんじゃないかって。 俯いてじっと考え込む。 ・・そうしたら不意に、テッドの溜息が聞こえた。 「・・あの、さ。」 「・・?え、な、何か?」 「お前、俺といるのそんなにつまんないか?」 ヤタは、それもう心底驚いた。 「それ・・は、君の方じゃないのか?」 「なんだって?」 「僕なんかと一緒にいたって・・つまらないだけだろ? 父上に頼まれたからといって、無理しなくても構わない。」 「・・・・あのなぁ・・。」 がたん。 テッドは乱暴に立ち上がって、大股でヤタの傍までやってきた。 彼は酷く憤慨した様子で、そしてヤタはそんなテッドが不思議でならなかった。 「この俺が、嫌いな奴をこうやってほいほい食卓に招くと思ってんのか?」 「・・・それは、父上が・・」 「だぁっ!ったく、わかんねー奴だなぁ!お前、どうしてそう受身なんだよ!? 自分からドアも叩きやしねえ。話し掛けもしねえしッ。 お前そんなに俺が嫌いかよ!」 「・・・!き、嫌い、なんかじゃっ・・ ただ、友達なんて出来たのは、初めてだからっ・・何を・・話せば、いいか・・。その・・」 だんだん小さくなっていく語尾と、赤くなっていく顔。 たっぷり一分間は間があったろうか。 びゅう、と強い風が吹いて、立て付けの悪い窓がぎしっと音をたてた瞬間。 「ぶっ・・・っはははははははは!!!ひーー!腹いってーーー! か、可愛いのなーお前っ!・・・あははははは!!」 「なっ・・・・!! ・・も、もういいっ、帰るっ!」 「まーてよっ!」 「離せ!!」 「悪かったって!!な?許してくれよ、一生のお願い!」 「・・・・・・・。 そーゆうのは、軽々しく使うものじゃないだろう。」 「まあまあ、そう言うなって。 で。俺がお前の初めての友達ってわけか?光栄な事だなぁ。」 テッドは涙目のままで、にっと笑ってそう言った。 まさかこんな事だったとは。 マクドール家の御曹司はとんでもないお子様だったというわけか。 真面目な性格なぶん、からかえそうだ。 そんなことを考えながら、テッドは顔を真っ赤にして睨んでくるヤタの頭を撫でてやった。 |