黒耀【2】










今日も、グレミオが僕の部屋のドアをたたく。
いつもなら適当にあしらっておけば何処かへ言ってしまうんだけれど、今日は違った。
無理矢理追い出されて、締め出しをくらってしまったのだ。

いつになく真剣な彼を思い出して、思わず苦笑する。
とりあえず歩こう。

体のどこかで骨が軋む音がして、やっぱりなまっていることを実感するヤタだった。









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帝都、と言ってもそれ程珍しいものがあるわけじゃない。
街の中心の噴水や青を基調とした町並み。
隙間なく詰められた石畳。街を囲む堀には絶えず美しい流れが続いている。
ここに立ち寄った旅人や商人は口を揃えて

”一日中見ていても飽きない”などと言うが・・・。


そんなもの、10年も見ていればただの背景だ。
暖かい陽気。
きっとこの先にある小さな公園は人でごったがえしているのだろう。
人ごみには出来れば行きたくない。


・・・暇。
こんな事なら家で本でも読んでいるほうがましだというものだ。
傍にある塀にもたれ掛かって空を見上げる。
突き抜けるような青空は、普通なら見ているだけで心が浮き立つものなのだろう。






ガラガラガラ・・・







馬車の音。
馬の蹄の音がする。

視線を向けると、異様に華美な馬車が目に飛び込んできた。
品のない極彩色の色合い。
派手であっても、けして品を損なわないオッペンハイマー将軍とは思えない。

どこかの中流貴族か。
ヤタは小さく溜息を吐き、その馬車とすれ違おうとした。
・・・が。




「そこな者。」





いつのまにか止まった蹄と轍の音。
仰々しい台詞に少しうんざりしながらも、ヤタは静かに振り返った。





「何でしょう・・・?」




馬車から降りてきたのは、いかめしい顔をした壮年の男だった。
極彩色に思わず視界がくらりとする。
なんと品のない男であろうか。
馬車同様華美が過ぎる装飾品の数々に、ヤタは嘆息した。


「この私の馬車に、何か不満でもあるのかね?」

「・・・いいえ、不満など・・・」

「嘘をつけ!私は見たぞ。私の方を見て眉をしかめた!溜息をついたっ!この無礼者めが!!」




顔を真っ赤にして男が怒っている。


まるで子供のような男だった。
いや、そこいらの子供の方がよっぽど大人だ。






「・・ご自分にもっと、自身をお持ちになってはいかがでしょうか。」







しごく丁寧に、しかし毒を含ませてヤタは言葉を紡ぐ。

それはどうやら男の癇にえらく障ったようで、男は唾を飛ばしながらわめき散らしはじめた。
後ろでは、従者が困ったように自分の主人を見つめている。

男は自分の質素な格好を見て、ただの子供だと思ったのだろう。
ボキャブラリーの無さそうな男の口からは様々な罵詈雑言が飛び出してくる。

卑しいだの、目つきが生意気だの、それこそ子供の八つ当たりのように。
掴みかからんばかりの勢いで。
ヤタはただ、心の中で外に出てきたことを後悔していた。
これだから嫌なのだ。



まったく動じないヤタ。
そんな態度にますます機嫌を悪くした男が、ヤタに掴みかかろうと手を伸ばしてきた。
半ばぼうっと話を聞いていたヤタは思わず、その手を勢いよく振り払ってしまう。






「・・・この・・!一般庶民の分際で私に手を上げるなど!!許せん!
 ええい、堀にでも投げ込んでしまえッ!!!」

「だ、旦那様・・!落ち着いてくださいませ!」

「たかが従者が、この私に逆らうか!!」

「ウェントリン様・・・!」





言い争う声の中に、聞き覚えのある単語を見つけた。
ウェントリン。

ウェントリン=レアリスム。
最近、長男が帝国軍で昇格した事をきっかけに下流から中流まで登ってきた家名だ。
しかしあまり評判はよろしくない。

息子の昇格さえ、賄賂によるものだと聞き及んでいる。





何にせよ困った事になった。
このまま立ち去るわけにも行かないし、だからと言って自分の家名も出したくはない。

どうしようか。
ヤタは目を瞑った。























「あー、はいはい。その辺で終わりにしとけよ。」











場にそぐわない、明るい声。
ヤタは驚いて声の聞こえた方に振り返る。

案の定。
そこには彼がいた。









「なぁおっさん、あんた一体誰に絡んでるかわかってんの?」






声の主。蜜色がかった茶色の髪と青い服の少年は、からかう様に男に言葉を投げつけた。
瞳の少しの、侮蔑の色を滲ませて。


驚いた黒い瞳を視界の端に見える。
彼はピクリとも動こうとしないで、少年・・テッドを見据えていた。
まるで信じられないものでも見るように。


テッドはしょうがないとばかりに溜息をつくと、スタスタとヤタの傍に歩み寄る。






「おっさん、よーく聞けよ。
 こいつは天下の大将軍テオ=マクドール様の嫡男、ヤタ=マクドールさ。
 あんたなんか足元の爪の先にも及ばない大貴族様だよ。」

「なっ・・・!!お前、何を・・!」

「黙ってろって。」





ヤタがばっと顔を上げて男を見ると、その顔は哀れなほど青褪めていた。
後ろの従者も同じように。

男の唇がガタガタと震えだす。
ゆっくりと後ずさりながら小さく、「申し訳ありませんでした」と、小さくそう言ったのが聞こえた。



ガラガラと大きな音を立てながら離れていく轍。
あたりにやっと、静寂が戻った。




























「お前、何で何も言わなかった。」


二人とも、その静寂に甘んじて。
暫くしてからテッドが、不機嫌を滲ませた声音でヤタに問いかける。


「お前こそ何様のつもりだ。
 ・・・勝手にベラベラと・・・!」

「ああ、テオ様の名前を使ったのは謝るさ。
 けどな、ああいうのに会ったらさっさと逃げとけ。お前あいつの腰の剣にちゃんと気付いてたか?
 今にも抜きそうだったんだぞ。」

「え・・・?」


テッドの言葉に、思わず目を見開く。
そんなこと全然気付いていなかった。
この程度の男、と。
侮っていた。侮りきっていた。

目の前でテッドが呆れたように溜息をつくのが聞こえて、思わず顔に熱が昇る。




「ったく・・・。これだからお坊ちゃんは・・」

「・・!言うな!!」






下を向いて叫ぶ。
顔を見られたくなかった。
・・きっと、情けない顔してる。

貴族の子。箱入り息子。
お坊ちゃんだから何も出来ないんだと、そう言われるのが、思われるのが一番嫌いだった。
それを面と向かって、しかもあんな奴に!!


言い様のない何かが体中を駆け巡った。
血が沸騰しそうだ。
目の奥が痛いくらい熱い。










「言われたくないんだったら、も少しちゃんとしろよ。」

「・・お、お前に言われなくとも・・っ!」

「声震えてんぞ、お坊ちゃん。」

「うるさいっ、黙れ!!」





ヤタにとっては酷い屈辱だった。

今までずっと自分は完璧であったのだ。
そうあり続ければならなかった。
父の名に、マクドールの名に恥じないようにずっとずっと努力してきた。
言葉遣い、仕種や、それから武術や勉学も。
友人は皆自分越しにマクドールの家名を見ていて、付き合う気も起きなかった。
自分が今まで築きあげてきた小さな巨塔。

それを、目の前の少年に突き崩された気がした。







「黙れっ・・・お前なんかに、お前なんかに何がわかる・・っ・・!」

「・・・・?おい?」

「お前なんか・・・お前なんかにっ・・・」











乾いた石畳に、パタリと落ちた雫。
ぎょっとしてテッドはヤタの顔を覗き込んだ。





「お、おい・・・?ちょ、何泣いてんだよお前っ!?」

「・・・っ・・・っ・・!!」


途端に慌てだすテッド。
ヤタはただ俯いて、唇を噛み締めているだけだった。

答えはない。



「あーー、・・・ったく、ガキのくせに背伸びしてっからだよ。」

「・・・・・・ガキじゃないっ・・」






ぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜられた。
そして、ぐいと頭を引き寄せられる。

暖かい鼓動が聞こえて、ヤタは少し驚いた。








「・・・お前、僕のこと嫌いじゃなかったのか。」

「別に。好きでも嫌いでもなかったさ。
 ああでも、今日ちょっとだけ好きになったかも?」

「・・・ムシのいい話だな。」

「お前はどうなんだよ?」

「・・・・・・。とりあえず・・・
 会ったときの事は、謝っておく・・・。」







ぼそりと呟かれた言葉に、テッドは込み上げる笑いを抑えられない。
なんとも律儀な子供がいたものだ。
あれは誰が見ても自分に非のある行為だったというのに。

不器用な子供だと思う。









「まあ、何だ。
 とりあえず帰ろうぜ、グレミオさんが心配してるかもしれないだろ?」

「・・・・こんな顔で帰れない。」

「・・・・わかったよ。
 じゃあもう少ししてからだ。」

「・・お前は、先に帰ってもいいよ。」





未だテッドに胸に顔を埋めながら、そんな事を言う。

実はもう腕に力など込めてはいないのだけど。
この子供は中々離れてくれない。

それどころか涙を隠すようにより一層顔を押し付けてくる。
人の一張羅を台無しにする気かと、内心呆れていたりするのだが。



初めて出会ったときの冷たい瞳が嘘のようだ。













300年生きてきても、やはり人とは不可思議で、そしてとても深い生き物だと今更ながらテッドは思った。