どれくらいの沈黙が過ぎただろう。 それは痛くて、刺すような沈黙だった。 夕焼けが静かに沈みきっていく。 あたりは暗闇に呑まれ、虫の声も、先程きこえたカラスの声さえもう聞こえない。 かわりに鳩が、湖面に落ちる小石のような声で一声啼いた。 カラリ 沈黙を破ったのは、戸を開く音。同時にギシリと床板の軋む音がした。 「高杉」 「・・・坂本・・と、勘太か。」 戸をあけたのは、真っ黒な羽織に身を包んだ高杉であった。 高杉は静かに二人に歩み寄る。 勘太は無言で立ち上がると、高杉の隣に立った。 「勘太、よく見つけてきたな。で、坂本。おめぇ、ここにいるって事は、わかってんだろう。」 「何がじゃ」 坂本を見据える高杉の瞳は、ギラギラと揺らめいている。 けれど、坂本は彼の満足する答えなど、身の内に内包していない。 彼は、どんな顔をするだろう。 坂本の”答え”を聞いたなら、どんな顔をするのだろう。 坂本は、言葉を重ねていく。 「なぁ、高杉。」 となりにいた勘太が、びくりと肩をすくませたのが見えた。 「わしが、おんしを止めに来たとゆうたら、どうするちや?」 勘太がぎゅうっと目を瞑る。 高杉は一瞬ピクリと眉を吊り上げる。 今までザワザワとしていた音も、一気にしんとする。 坂本の言葉に、周りにいた志士達がこくりと息をのむ。 「お前が、仇討ちにのらないってんなら、それもいいさ。 だがな、邪魔すんのなら、別だぜ」 高杉の意識が己の刀に向かっているのがわかった。 どうやら、彼は坂本が思っていたよりも随分、怒りと焦りに身を焦がしていたようだ。 勘太はもう、可哀相なくらい怯えていて、俯いた瞳からはいつ涙が零れたっておかしくない。 それでも、と、坂本は唇を噛み締めた。 止めなければいけないと、思う。 止める事が出来ないのならせめて、気付かせたい。 気付かせてやらねばならない。 高杉、お前が今どれ程に怒り、焦っているのかを。 その焦りと怒りこそが、お前の率いる志士達の命取りになるのだと。 「わかっちゅうのか、高杉。」 「何がだ」 「おんし一人で、背負うんぜよ。銀時も、桂も多分、おんしを止めに此処に来るがやろ。 おんし一人で、背負えるんなが?」 「・・・・・・・・。」 高杉は答えない。 坂本は、背筋がゾワリと粟立つのを感じた。そして、同時に込み上げる怒り。 「高杉。答えもないまま行くんなが?ふざけるな、答えい、高杉」 「黙れ」 射ぬかれる様だ。 そう坂本は感じた。 「黙れ、辰馬。ごちゃごちゃと、うるせぇ。何だテメェは。 俺にそんなまわりくどいお説教を垂れにきたのかよ、えぇ? 違うだろォ、辰馬。止めに来たんだろ?俺を力ずくで、止めに来たんだろうがよ?!」 言うや否や、高杉はスラリと刀を抜き放って間合いを取った。 ビリビリと伝わるこの感覚はまごうかたなき、殺気だ。 「おんしは、話し合いという言葉を知らんがか!?」 坂本は一足飛びで、今まで自分が座っていた場所から飛びずさった。 そして同じように刀を抜き放つ。 言ってわからぬなら、力で捻じ伏せるのみ! ・・・高杉ではないが、坂本の脳裏にそんな言葉がよぎる。 坂本とて、出来るなら話し合いできちんと事を済ませたかったのだ。 けれど、高杉は怒りの沸点がやたらと低い。 何もいきなり刀を抜き放つ事もあるまいに。 「辰馬、まだ俺を止める気持ちはあるか。こうして刀を合わせてまで、止めようと思うか。」 「ああ。おんしは今、冷静な判断が出来ちゃーせん。 ほがな事で、人の命背負えると思うたら、うぬぼれじゃ。」 吐き捨てるように、坂本が言う。 高杉はまたピクリと眉を顰めた。 手に持った刀を苛立ち気味にブンと振って、おろす。 目を見張ったのは、坂本だけじゃない。 「俺が冷静じゃねぇ?んなの判りきった事だろうがよ。 仇討ちなんざ考えるやつが、冷静だと思うのかよ?」 「・・・・・」 「坂本、テメェの言うとおりさ。俺は急いている。 でもなぁ、俺にはこの仇討ちを遂げる自身がある。こいつらと一緒にな。」 目配せると、力強い頷きと視線。 「俺は背負うぜ。全部背負いきってやらぁ。」 坂本は、瞠目した。 そしてまた思う。 言わねばならない。 それでも、言わねばならない。 高杉の意思がどれだけ強固であろうと、言わねばならない。 「それでも、わしはおんしを止めるぜよ。」 「・・・そうかよ」 「ああ」 「・・・なら、仕方ねぇな。明日、飯食えねえくらいは、覚悟しとけ。 情けはかけるぜ、峰打ちだ。」 キン、と音を立ててすべる刀身。 鍔鳴りが、やけに響く。 勘太はもう俯いて、言葉を失っていた。 志士達は、ただ息を呑み、拳を硬く握り、それでもその場からぴくりとも動けずにいた。 そう、この痛いほどの沈黙が破られた時、全てが決まる。 けれど、この沈黙を破ったのは、剣戟でも、鍔鳴りでも、床の軋む音でもなかった。 りんと高く響く、銀色の声だった。 「辰馬。高杉。」 「・・・・・・・・銀時。」 彼は月を背負って立っていた。 今日は月が眩しくて、彼の表情が月の淡い逆光でよく見えない。 銀色の髪が、キラキラと透けていた。 高杉は目を細めた。 「高杉。おめぇ、こんな明るい夜に、仇討ちに行くのか?」 「・・・・・。」 「そんなだから、辰馬に冷静じゃねぇってツッこまれんだ。馬鹿。」 「・・・・るせぇよ。」 ズカズカと遠慮なく入ってきた銀時は、部屋の隅においてあった油皿にこよりで灯をつけた。 周りにいた志士たちがハッと気付いて、もう一つの灯をつけにいく。 月明かりだけが差し込んでいた薄青い部屋が、ほのかに明るくなった。 銀時の後ろでは、桂が呆れたように溜息をついている。 「高杉、お前らしくないな。」 「何がだ」 「お前は鬼兵隊の隊長。我々攘夷志士とは共闘するのみと言っていたのは、お前じゃないか」 「昨日の襲撃は、うちの隊員も手酷くやられた。仇討ちは当然だろうが。」 確かに、志士達の中には鬼兵隊の隊員も混じっている。 しかし、ほとんどの顔ぶれは銀時や桂に馴染みの深いものばかり。 その彼らを率いる理由が、銀時や桂にはわからなかった。 ジリジリと何かの焼け焦げる音が、酷く焦燥感を煽るのは何故だろう。 鳩の啼く声が静かに消えて、羽音が遠ざかっていく。 「・・・・・・よもや、高杉。」 「言うなよ、桂。・・・・言ったらブッた斬る。それはこいつらと俺への侮辱だ。許さねェ」 「・・・・・すまん」 ”彼らを貴様の私怨に利用しているのではあるまいな” そう、問おうとした。 高杉に言われ言い留めた言葉を、桂は大人しく腹に溜め込んだ。 高杉の言葉は正しかった。 「それで・・・、高杉。お前、まだ仇討ちをする心はあるか」 「・・・・・・・」 「辰馬は。」 「ないぜよ。」 「ヅラは。」 「ヅラじゃない桂だ。・・・・無論ない。無茶だ。」 勘太も、志士達も、高杉でさえコクリと息を呑む。 そして同時に高杉の中で湧き上がる怒りは、半端なものではなかった。 「テメェらには、ねぇのか。 憎しみは湧かねぇか。奴らをブッ殺してやりたいって気持ちがよォ!!」 「あるさ。でも今はその時じゃない。 俺は仇を討つなら完璧に返してぇ。お天道さんの上でこっち見てる奴らも、そっちの方が嬉しいと思う。」 「・・・・・。」 「高杉、溜め込んどけ。 そのでっかいお前の獣を、腹の底に溜め込んどけ。 今はまだ、な。」 「・・・・・・。・・・・チッ。」 高杉の肩から、力が抜ける。 「お前らもだ。」 高杉の後ろに目をやり、少し大きな声で言う。 呆けていた勘太、それに志士達が慌てて頷いた。 銀時の気迫に呑まれていたのだ。高杉でさえ呑み込む、圧倒的な気迫だ。 鳩のいなくなった木にはいつの間にか梟がとまっていて、ホゥホゥと抜けるような声で啼いていた。 |