小石川には、攘夷志士御用達の”日暮診療所”がある。 今桂と銀時が向かっているのも、そこだ。 「桂様!!どうなすったんですか、こんな朝早く。」 門前で掃除をしていた診療所の女が驚いて駆け寄ってくる。 「すまんな。日暮殿はいるか?」 「ええ、ええ。どうぞ中に入ってくださいな。」 「ああ。」 中に通され、桂と銀時はきしきしと軋む床を踏みながら奥へ向かった。 鈍く光る檜の廊下を渡った先の、奥まった部屋。 そこがこの診療所の主であり医師である、日暮の部屋だ。 桂は銀時を連れて部屋の前までやってくると、「日暮殿」と襖の向こうへ呼びかけた。 「構わんぞ。」 するとそう、中からよく通る声が聞こえた。 スッと襖を開けると、中では初老の男が読み物に耽っている。 「また徹夜ですか。体を壊しますよ。」 「医者が体を壊してどうする。自分の体の事は自分が一番わかっておる。 心配するな。・・・所で、こんな朝早く何用だ?」 「・・・ちょっとこの馬鹿を診てやってくれませんか。」 「馬鹿とはなんだ、バカツラ。」 「黙れ白髪パーマ。」 いつのまにやら静かな暴言の応酬が始まるのはいつもの事。 けれど、場所が悪かった。 日暮がドスの聞いた声で、 「・・・この神聖な日暮診療所で罵りあいか。いい度胸だな、若造ども。」 なんて言って来るので、黙らざるを得なかった。 しかし、いつまでもこんな馬鹿のような応酬を繰り返しているわけにもいかない。 日暮に銀時を預け、桂は一旦部屋から出る事にした。 やる事はたくさんある。 とりあえずは、このマメだらけの手を手当てしたい。 桂は足の裏からきりきりと迫る寒さに一つ身震いすると、再び廊下を歩き始めた。 「おお、おお。またこんな馬鹿のような傷をつくりおって。」 「馬鹿たぁ何だよ。」 「言ったまんまの意味に決まっておろう。」 日暮は呆れ顔のまま銀時の手を手当てし始めた。 棚から瓶を取り出し、柔らかい綿に瓶の中の薬を染み込ませる。 彼の医師としての腕は一級品だ。 だからこそ、皆が皆彼を慕いここにやってくる。 この日暮診療所は、日暮がその腕一本でここまで大きくした診療所である。 今でこそ町民が普通に通える診療所であるが、一昔前・・10年程前までは戦場で負傷したものや、 ならず者などを受け入れていた場所だ。 何より元々日暮は気性の荒い男であったし、それを慕ってくる者も多かった。 堅気の者も、そうでない者も、だ。 今は町娘が手伝いに来たりと、何とも華やかな場所になりつつある。 しかし、患者の大半が町民になったとは言え、戦場で負傷した者・・主に攘夷志士なのだが。 彼らが運び込まれてくるのが少なくなったわけではない。 むしろ、最近は殊更増える一方だ。 「・・・日暮、昨日の朝から今まで、俺らんトコの志士はこなかったか?」 「いや、そんな奴は来なかったな。・・・こら、動くな。」 「くすぐってェんだよ。・・・ふーん。じゃあ・・やっぱ桧神か。 ってあだだだだ!!イテェんだよクソジジイ!」 「動くなと言っておるだろうが!!」 ギャーギャーと騒ぐ銀時を拳骨でガツンと一発。 なんとも元気なご老体だ。 朝の透き通った空気は、襖越しにその騒がしい音を診療所に響かせる。 町娘はくすくすと笑い出し、桂は微かに聞こえたその声に苦笑を抑えられなかった。 ------------------- 「・・・・坂本さんですか?」 「何モンじゃ。」 「勘太、です。鬼兵隊の・・・」 「何じゃ、高杉とこの坊か。」 かさりと背後で音がして、坂本は仕込み刀に手をかけた。 思いのほか明るく澄んだ声で、少し驚いたのだが。 帰って来た”鬼兵隊”の単語に後ろを振り返り見て、納得した。 坂本の後ろにいたのはまだ幼さを残す顔立ちの少年だったからだ。 「ようよう会えたのぉ。やぁ、良かった。」 「ええ。高杉さん・・すごく怒っていましたけど。」 「・・・・・・・・・・・・。」 ここは下忍池のたもと。 坂本はお地蔵さんの横にある大きめの石に腰掛けて、ぼぅっとしていた。 昨日丸一日探していたのだが、仲間の志士は一人も見つからなかった。 軋むような寒さでもって吹き付ける風と、濃い人いきれ。 坂本はどうして中々、堪え性のない男であった。 じっとしていれば見つけてもらえるだろう。 そんな甘い期待を抱いて、坂本はずっと地蔵の横に座っていたのだ。 結果として見つけてもらったのだから、そこは良しとすべきなのだろうか。 「行きましょう。早く行ったほうがいいですよ。 場所は王子の花三番ですから。」 「そりゃまた。何でほがなところなんなが?あそこは決起集会の・・・」 「・・・高杉さん、仇討ちをする気です。」 「・・・・あの人数でか?」 「白夜叉と鬼神が揃えば、容易い事だと皆は」 「その言い方はやめちょき。」 「・・・すいません。」 白夜叉銀時。鬼神高杉。 戦場で静かに広まりつつあるあざなだ。 坂本はこのあざなを好く事が出来なかった。 二人はそんな名などそぐわぬ、優しい男だと知っていたからだ。 しかし先ほどの”仇討ち”の話。 幾らなんでも、今は無謀だ。 まず数がない。 銀時や桂と合流したとしても、志士達の犠牲は免れないだろう。 もしも。 もしも高杉が焦りを感じているのなら。 冷静さを欠く怒りを感じているのなら。 止めねばならない。 「勘太、わしは走るけんど、おんしはどうやるが?」 「も、もちろん俺も行きます。」 「・・・遅れんようにな。」 ---------------- わかっている。 時が熟していない事は。 「高杉さん。坂本さんは・・・」 「勘太を行かせた。アイツの事だ、きっと止めに来るだろうなァ。」 「・・・・・・俺は、仇を討ちたいです・・。」 「・・・・・・わかってらァ。おら、もう行け。」 「はい。」 わかっているのだけれど。 高杉は人ごみに紛れていく背中を見送り、息をついた。 先刻から茶屋の表で座っているのだが、主人の視線が痛い。 面倒と思いながらも、高杉は茶を一杯、側を通りかかった茶屋の娘に頼んだ。 戦を仕掛けるには、勝てる条件と言うものが必要である。 それは数であったり、策であったりする。 しかし、どんな戦であれ、高杉が一番重視しているのは”士気”だった。 皆が恐怖に慄けば、勝てる戦も負け戦になる。 逆に負け戦でも、心持ち一つで勝ち戦になる事もある。 仇討ちも同じだと、考えているのだ。 怒りというものは、冷めるのだ。 少しずつ、少しずつ。 あとにはどうしようもな悲しみだけが残る。 それを、高杉は危惧している。 「・・・・今しかねぇ。」 これは、焦りか。 フツフツとこの胸に湧くのは、やはり怒りか。 止められない衝動は、確かに高杉をも蝕んでいたのだ。 |