【よいなき】












桧神家の屋敷を出た高杉は、傘を深くかぶり町に出た。
霧は既に晴れていて、あたりは朝の活気に満ち溢れている。

川近くまで出ると、賑わいようはいよいよ大きくなってきた。
皆、肩や腕をぶつけ合いながらせわしなく歩いていく。


高杉はするりするりと人ごみを抜けながら、傘の切れ目の隙間からあのモジャモジャ頭を探していた。
あいつは世間一般、普通の男よりも頭一つ大きい。
探し出すのは容易だと思えた。

奴が死ぬなどという事ははなから頭にはない。
彼は馬鹿だが、頭はよくきれる男だ。きちんと、為すべき事を理解している男だ。
どこぞに身を潜めているのか、それとも賑わいに乗じてこの界隈を歩き回っているのか。












「・・・・苦労ばかりかけやがる。」














高杉は舌打つと、再び視線を上に向ける。
憎憎しい程眩しく光る太陽が目に痛い。







その日高杉は日が沈むまでモジャモジャ頭を探し続けたのだが、結局見つける事は出来なかった。
これが後々坂本の不幸に繋がるのは、言うまでもない。
















----------------

















「銀時・・・起きろ、銀時。」

「あーーー・・・・?あ、おぅ。おはよーさん、ヅラァ。」

「朝っぱらから俺に殴られたいとは、中々の好きモノだな、銀時。」

「スイマセンカツラサマ。」

「フン。」





銀時が欠伸をしながら上体を起こす。
とたん、びゅうと寒風が真正面から吹いて、思わず身を竦ませる。
二人はまだ寺跡地にいた。



これ以上桂に怒鳴られるのも嫌なので、渋々ながら立ち上がる。
体を支えようとして手の平を地面につくと、不意にズキンと鋭い痛みが走った。
不思議に思い手を見やる。





「・・・・げっ!!」






思わずあがる声を抑えられなかった。
・・自分の手はなんというかもう、見るも耐えないべろべろのスプラッタ状態だったからだ。







「・・・・お前が悪いんだぞ。ちゃんと洗いに行けば良いものを、バカのように寝こけてしまうから。」


「起こせよォォォ!!!」

「起こしたとも!!何度もな!まったく、貴様の寝汚さには舌を巻く!」

「・・・これじゃ、一週間はまともに刀握れねぇじゃんかよ。」

「自業自得だ。墓穴掘りもほとんど俺一人にやらせおって。」

「仕方ねえだろぉーー」







銀時はそこまで言うと、空気の抜けた紙風船のようにヘタリとなってしまった。
もう一度、自分の手をみる。

・・・やっぱりべろべろだった。




「とりあえず、洗いに行くぞ。手を合わせてから行こう。」

「あ、おう。ちゃんと皆埋めてくれたんだな。ありがとよ、ヅラ。」

「ああ。」



二人はこんもり盛り上がった土の塚の前まで行くと、しゃがみ込んで手を合わせた。
合わせた手がヒリヒリ痛んだけれど、構いはしない。
ふと銀時が桂の手元を見ると、その手は真っ赤でマメだらけだった。

塚には刀が一本、ざっくりと刺してある。
ひしゃげた刀身は真っ黒に焦げて、北風に吹かれる度きらきらと煤を零すのだ。
その様はまるで、粉雪が風に吹かれて舞う様でもあった。







「・・・安らかに眠れ。敵は、必ず討つ。」

「・・・・・・・・・。」

「行こう、銀時。」

「・・・おぅ。」




たむける花もない哀れな塚を背に、二人は歩き出した。












-----------------













隅田川へは、寺跡の後ろに広がる小さな森を抜けるのが最短の道だ。
他にも道はあるのだが、志士達は人目をまったく気にせずに済むこの道を好んだ。

「さて、北側に抜ければ人も少なかろう。
俺のはともかく、お前のそれは医者に診て貰わねばならん。
高杉達の動向も気になるが・・今は小石川へ行こう。」


森の中淡い日差しを浴びながら、桂はこれからの事を話している。
銀時は珍しくもそれを神妙な顔で聞いている・・・・のでは、ない。
ただ単に、眠いのと、糖分が足りないのと・・・・手の平の痛みが酷いからだ。

昨日は痛みも少ししか感じなかったが、起きて、意識しだすとそれは自然と疼きだす。
それがじわじわと鈍いものならまだ良かったのだが、これがまたズキズキと酷く痛む。
まるで手の平が心臓になってしまったようだ。






「?どうした、痛むのか?」

「ん?ああ、痛ェ。」

















桂に嘘をついたって仕方ないので、銀時は素直に白状した。
顔を顰めて、桂は銀時の布まみれの手をとる。
途端、鋭い痛みが走って銀時は思わず呻いた。


「・・あいって!・・・ヅラッ、もうちっと優しく、さぁ・・」

「うるさい。」


思わず目尻に涙を滲ませ、桂を睨む。
桂を睨んで。


銀時は思わず、瞠目した。




桂がとんでもなく真剣な瞳で、自分の手を見ていたからだ。









「じっとしていろ。」



言われた通りにしていると、すっと前髪をかき上げられて、額にじんわりと手の平の熱を感じた。
ああ。本当に、参る。
まるで子供にするかのようなしぐさ。
こんな事をおくびにも出さずやってのけるのだ、この男は。




「・・・・熱があるな・・傷のせいだろう。急ぐか。」



するりと離れていくあたたかさがもどかしい。
無意識なのだ。たちが悪い。
ぐらりと、心臓が揺らぐこの感触。

ああ、気持ち悪い。







「・・・お前、ずりぃよ。ヅラ・・」

「?何か言ったか?」

「・・なんでもねぇ。」




目の前を歩く背中。長くしなやかな黒髪が歩みと共にゆらゆら揺れる。











揺れる黒髪。
きらきらと零れる光。
葉と葉がかさなりあい生まれるさざめき。
ふぞろいな足音。


その倒錯めいた空間は、銀時に不思議な感覚を与えた。
心、ここにあらず。

ふわふわと中を泳ぐ感触。








「もうすぐ、森を抜けるぞ」







そんな桂の声が、頭でリフレインした。