浅い眠りは、いつも簡単に破られる。 床の軋む音。 木々がざわめく音。 風の通る音。 そんな小さな音に自分の耳は過敏に反応して、どうしようもなく瞼を閉じる。 「眠れんがか?」 「・・・・・・おぅ。」 「わりぃ癖、出てしもうたなあ。あいたも早いがやき。」 「わかってるよ。」 銀時はここ最近、不眠症に悩まされていた。 日が明けても戦、日が暮れても戦。山と湧いてくる天人は、銀時を始め、志士達の心を否応にも張り詰めさせた。 ギラギラと張り詰めた心は、床についても冷める事がなく。 体は疲れていても、心がうまく調節出来ない。 そんな感じだった。 「子守唄でも歌っちゃおーか?」 「冗談。」 強がっているけど。 日に日に銀時の目の下にある隈が酷くなっているのは、本当のこと。 銀時はこっそり溜息をついた。 坂本に心配をかけている自分が、歯痒いと思った。 静かな夜。 寺の中は、志士達の寝息で満たされている。 でかいいびきをかいている者もいれば、寝言を呟きだす者もいる。 呑気なものだ。 自分はちっとも眠れないのに。 理不尽な怒りを仲間達に向けてしまうのは、やっぱり自分がイライラしているからなんだろう。 銀時は、再び溜息をついた。 そんな銀時を見て、坂本は思いついたようにポンと手をうった。 「ほがーに眠れんがか?」 「眠れねー。・・・ワリィ、ちょっと外出とくわ。」 「お、じゃったらわしも行こうかぇ。」 「は?」 「寝酒くらいじゃったらつきおうちゃる。」 「・・・・どーも。」 眠っている仲間のとなりを、抜き足、差し足。 時折床の軋む音にひやりとしながら、二人は縁側へ向かった。 今夜は、月が見えない。 代わりに、夜空いっぱいに星が瞬いていた。 月ほどではない弱い光が、縁側を仄暗く照らしている。 「んー?めっそう残っちゃーせんなぁ。」 「充分だろ・・・。酒盛りするわけじゃねーんだから。」 縁の欠けた杯を銀時に渡して、坂本は残念そうにひさごを揺らす。 チャプンと軽い音がして、ふわりと酒の匂いが鼻を掠めていく。 ふと、銀時は坂本の持つひさごに目を向けた。 じっと、目を凝らす。 そのひさごには、赤と金の糸を編みこんだ美しい紐が括りつけられていた。 つまりそれは、どういう事かというと。 「おまっ、ソレ、高杉のじゃねーのか・・?」 「そやけど?」 「オイオイ、マズイだろソレ。アイツぜってー怒るぞ?」 「ちっくとくらい、なんちゃーがやないちや!!」 坂本は慌てだす銀時など気にも留めずにかんらかんらと笑っている。 ・・・まあ、殴られんのはどうせ坂本か。 少し酷い事を考えつつ、銀時は結局欠けた杯をずいっと坂本に突き出した。 だって、こんないい匂いがするんだ。 ここまできて飲まないのは、なんだか悔しかった。 坂本はちょっと目を細めると、杯に酒を注いでくれた。 「あーあ。杯くらいちゃんとしたのが欲しいよなぁ。」 「そうじゃのー。皆面倒くさいゆうて、そのまま瓢に口つけて飲みよるからなぁ。 風情がないやか。」 舌先でちびりと舐めると、途端にピリッとした味が口内に広がる。 さすがに、高杉が飲んでいる酒だ。 寝酒にはきつすぎるかもしれない。 坂本も一口飲んで、少し驚いたように舌を出していた。 「こりゃあーまた、きついの。」 「舌がピリピリする。逆に寝れねーんじゃねーか、コレ。」 「んー、まあ、ええやか。」 何が良いんだよ・・・・ 相変わらず坂本は掴み所がないというか、よくわからないというか。 上機嫌に高杉のひさごを傾ける彼は、もはや寝酒という事を忘れているようだった。 明日きっと、高杉にどやされるんだろうな。 そんな様がありありと浮かんでしまって、銀時は思わず口元を押さえた。 こみあげる笑いの衝動で、小さく肩が揺れる。 「なぁに笑っちゅうの、金時。」 「ぶふっ・・・いーや?明日お前が高杉にボコられんの想像したらよー、ぶははは!」 「何じゃと!おんしも一緒に」 「ボコるに決まってんだろ。」 「そうじゃ!ボコるに・・・。・・へ?」 「いい度胸だなぁ、オイ。俺の酒で酒盛りかよ?」 ギギ、と音がしたのは、気のせいじゃない。 「たか、すぎ・・・・」 「テメェら、覚悟は出来てんだろうなぁ。」 その時の高杉の形相といったら、恐ろしい事この上なかった。 彼は見ての通り、無類の酒好きだ。 酒には其れなりのこだわりがあるのか、時折自分の足で良い酒を探して歩いたりもする。 そんな高杉の酒を勝手に拝借。 坂本と銀時は、なんと恐ろしい事をしたのだろう・・ 「ったく、そりゃあ"勝山"だぜ?わざわざ取り寄せたんだ。 俺の楽しみを奪いやがって。」 「たたた高杉!すまんかった!!銀時が眠れんゆうから・・」 「俺のせいかよ!!」 「ああうるせぇ!俺は何で"黙って飲んだのか"つってんだ。 言えば寝酒ぐらいわけてやるっつの。」 「「は・・・?」」 ポカンと、口を開ける。 まさに開いた口が塞がらない状態だ。 まさか、高杉の口からそんな言葉が出るとは。 「今日は気分がいい。俺も混ぜろ。」 どっかりと坂本の隣に腰をおろして、自分の持っていたひさごを取り出す。 ・・一体この男はいくつひさごを持っているのだろう・・・。 珍しく上機嫌に杯に酒を注ぐ高杉に、二人は顔を見合わせた。 「・・・何かええ事でもあったがなが?」 「さてな。」 「つーか、今日のお前なんか気持ちわりぃよ。」 「殴られてーか。」 「スイマセン。」 ホウホウと梟の鳴く声。 カサカサとさわめくススキの音は酷く心地いい。 ああ、こんな静かな気持ちになれたのは久方ぶりだ。 銀時は思う。 ここ暫く、天人との戦闘が続いて、気持ちはピリピリしっぱなしだった。 今夜だって眠れずに、こうやって坂本達に気を遣わせてしまっている。 でも、どうだろう。 今の銀時の心は、とても、とても、穏やかだ。 優しい空気 優しい視線 優しい気持ち さっきまで煩わしいだけだった。 床の軋む音、木々がざわめく音や、風の通る音を、何故こんなに穏やかに聞く事が出来るんだろう。 銀時は思う。 ああ、きっとここが俺の帰る場所なんだ。 「寝酒には、勿体ねーなぁ。」 「だろ?秘蔵の蔵ってのから出してもらったんだぜぇ?」 「・・・くすねたんじゃなかろうね。」 高杉が何だか嬉しそうに口元を吊り上げて、坂本も小さくそれに苦笑する。 この気持ちは知られないままでいい。 "お前らがいて良かった" ・・・なんて、死んでも面と向かっては言えんよなぁ。 ふう、と溜息の音。 「明日も戦かのー。戦、戦、いつまで続くがやろーなぁ。」 「決まってっだろ。俺らが奴らに打ち勝つまでだ。」 「わしぁ、殺生は好まんがだ。」 「んなの、綺麗事だろうが。」 「・・・まあ、仕方ないろう。今はまだ、これしか思いつかぇいよ。」 坂本が、気だるそうに夜空を見上げる。 それに倣い、銀時も夜空を仰いだ。 あの星々さえなければ、いつまでのこの星は平和だったのだろうか。 あの、美しい瞬きさえなければ。 こうして刀をの握る事もなく。 こうして盃を交わす事もなく。 ただ、平凡に。 この激情を知る事もなく、暮らしていたのだろうか。 銀時は、目も眩むような煌めきを、恐ろしいと思った。 「星は、キレイなモンちや。」 「はぁ?」 「坂本・・・・・」 心を読まれたようで、心臓が跳ねる。 「キレイなもんは、キレイでええ。 酒も旨いときたら最高じゃ。こりゃあはや、寝酒じゃーすまんろうな!」 「あたりめーだろ。どーだ?ヅラの奴も呼んでくるか?」 「またどやされんのがオチじゃろー。なぁ、銀時?」 坂本が、笑う。 満点の夜空を背負って、満面の笑みを浮かべるのだ。 「・・・・おぉ、ぜってぇどやされるな、俺ら」 なら、こっちだって満面の笑みで返してやろうじゃないか。 どこまでも、どこまでも おだやかで、おだやかな。 銀時は、思う。 きっとここが、最後に帰る場所だ。 きっとまた、いつか戻ってこよう。 優しい眠りを誘うこの場所へ。 |