【くれないしんげつ】















月もなくて、星もまばら。
そんな夜は、眠れない。

どうしようもなく真っ暗すぎて、目を開いても、閉じても真っ暗だから、とても不安になるのだ。
桂は脇差を腰に差すと、ガラリと障子を開けた。
相変わらずそこには光はない。
ぼんやりと庭や木のふちが見えるのは、おざなり程度だが星が出ているからだ。



「静かだな・・・。」




カサカサと草の揺れる音以外は、何も聞こえない。
視界が失われている分、耳に入る音は鮮明だった。

ふいに、ギシリと。
明らかに不自然な音が、桂の耳に響く。
暗闇にぼんやりと、灯りが浮かんでいた。

脇差に手をかけ、腰を落とす。






「何者ッ!!」

「俺だよ。」

「・・・・驚かせるな。もう少しで斬る所だぞ、高杉。」

「物騒だなァ。」









松脂の入った皿を片手に持って、縁側に立つ男。
さながら幽霊のようだ。

高杉、と呼ばれた男はストイックな笑みを浮かべながら、顎をさすった。
皿の上の炎がちらりちらりと揺れ、二人の間のみを照らす。
桂は小さく溜息をつくと土壁に背を凭せ掛けた。


「貴様、このような刻限に何をうろちょろしてる。
油の無駄遣いはよせ。」

「無駄遣いじゃあねえさ。三郎がよ、からくりの調子が見たいってんで火を持ってやってた。」

「ほう・・・お優しい事だな。」

「あいつは使える奴だからなァ。」

「・・・・・・。」








桂は脇差を差しなおすと再び庭に向き直った。
相変わらずぼんやりと輪郭のみが浮かぶその様は、不気味でもあった。

そういえば、銀時達は無事に桧神家に辿りおおせただろうか。
新月とはいえ、町を徘徊している天人に見つからないという保障はない。
奴らの中には恐ろしく夜目のきく輩もいるのだ。

暗闇は不安を増長させるというのは、本当らしい。











「・・・おいヅラ。見張りの奴だぜ。」
「何?」




高杉が煙管でクイと庭先をさす。
まもなくカサカサと草を踏み鳴らして、一人の志士がやってきた。






「桂、報告だ。
・・・両国あたりで、松明らしき火が灯っているとの事。」

「・・・何だと!?」

「あいつら・・しくじりやがったか。」

「確かなのか。」

「今、偵察を向かわせたところだ・・。しばし待て。」

「誠なればそれでは遅い。高杉、頼めるか。」

「あぁ?!・・チッ、また尻拭いかよ・・・。しゃあねえ。おいお前、隊士揃えて来いや。
三郎は呼ぶなよ。奴のからくりは夜にゃ向かねぇ。」

「わ、わかった。」






見張りの志士は慌てて縁側を走っていった。
高杉の言う”隊士”というのは鬼兵隊の事だ。
一癖も二癖もある奴らばかりで、どうにも桂には扱いづらい存在であった。
高杉は隊士には不器用ながらも優しさを見せたし、そんな高杉を隊士達は慕っていた。

こんな夜中に叩き起こされても、高杉の命と知れば勇んでやってくるような馬鹿ばかり。
桂は少し、高杉に羨望の念を抱いていたのかもしれない。





「坂本と銀時の馬鹿がしくじったみてぇだ。両国まで走るぜ。
足の速ェ、ついでに夜目の利く奴、五人出て来い。」

「勘太と与一はどうだい、高杉さん。あいつらなら夜目も利く。」

「それがよか!あとはわしとこいつ・・・そうじゃの、梧郎でどうかね。」

「いいだろ。行くぜ、両国までぁ一里と半だ。気張れよおめぇら!!」

「おぉ!!!」




















闇の中を足音が遠ざかっていく。
その音を聞きながら、桂は着流しから袴に履き替え、打刀と脇差を差しなおした。
背まで垂れ下がったしなやかな黒髪を、一つに纏める。

ぎしりと縁側を踏みしめ、息を吸う。
生ぬるく、喉にまとわりつく空気だ。

















「灯を燈せ。万一に備える。」























そうでない事を祈りながら、桂は闇の向こうの両国を見つめた。